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選びほーだい

明日は休みなので私の血液である赤ワインを摂取しながらほわほわと書いてみる。

日曜日に過去へのトリップを開始して、内観を始めたもののまとまりに欠けたものしか書けなくて、結論が出なかった。

昨日、前から見ようと思っていたyoutubeを改めて視聴したときに、あっこれだ。
というものがあったので忘れないうちに草子に綴ろうと思う。

というか頭でわかっていたけれどちょうど内観をはじめた時に視れたからこそようやく深く腑に落ちた感じがあったので、やはり外的な刺激(とくに悪い刺激)というのは非常に意味のある出来事なんだと再認識でき、また気持ちが楽になった。

視たyoutubeはこちら
Vol.5まであります。
このまりなちゃん。
こどもの(宇宙の?)純粋な視点と記憶を失わずにこの現世で生きていて、こんなお話をしてくれるのがとてもありがたい。
そしてわたしにとっては彼女の話がとてもしっくりきて納得のいくものだった。
それは自分の人生に対してもだし、今まで考えてきた哲学的な謎の答えでもあった。

むかーーしに読んだ雲黒斎さんのブログのお話を思い出す。
地球に生まれるときに車(体)を選んで生まれてくるというお話。
速い車、クラシックな車、オンボロの車、いろんな車を自分で選択してきて生まれるという話があって、合点がいったのを覚えている。

まりなちゃんいわく生まれてくる前にみんな自分の人生のシナリオを原稿用紙に書いて決めてくるという。
どのお母さんから生まれてくるかも自分で決める。プラカードの人数に合わせてわたし行きまーす!てな感じで。
自分が体験したいことを与えてくれるお母さんのところに自ら飛び込むのだという。
お母さんが頭でこどもが欲しいと思っても、そのお母さんが生まれてくる前にこどもを産まない人生を選んでいたなら魂としては本当は必要としていないということ。

日曜日、母と言い争いになったあとどうしようもなく過去へのトリップをはじめたが、それもわたしが過去の整理をするために起きたに違いない。母はそのために悪役をしてくれたのだろう。今目の前にいる母は30年前の母ではないからだ。

わたしの30年前の出来事というのはわたしが書いたシナリオだったのだ。
その体験をしたかった。ただそうなだけ。それが一番納得のいく言葉だった。

わたしは何の価値もとりえもないと言われてみたかった。(無価値観によってどのくらい能力は落ち込むのだろう、何をできないと思うのか知りたい)
わたしは5日間食べたくても食べられなくなってみたかった。(絶食後のどら焼き超絶おいしかったわ)
わたしは山に捨てられて何を差し出せるか考えてみたかった。(しょーもない理由でなかなか山に捨てるとかしないから面白すぎる体験)
勉強できない問題児ってのはその後払拭されるから時代、環境、先生の縁のせいね。
これは要因を外部のせいにしているわけではない。
何もかも自己責任に基づいている。
それがとてつもなく納得のいく答えだった。

そして、哲学的な思いにふけるとぶちあたる考え。
善と悪。
どうしてこれは悪いことなの?どうしてこれは善いことなの?

善と悪は時代によって変わることがほとんど。

傷つけるのは悪いこと。助けるのはいいこと。
ほんとに?
ずっとそう考えてた。

まりなちゃんは答えてくれた。
善と悪はないんだよ。
今世で人を殺しても魂が曇ることはない。それは単に今世で人殺しをしてみたいという人と殺されてみたいって人の縁で起こったできごとだから。ただそうなだけ。
と。
これ以上に納得のいく話があるだろうか。
まさにそう。
殺人ひとつとっても、殺したい体験がしたい魂、殺されたい体験がしたい魂、殺された親族になりたい魂、みんなみんな、したいことしてるだけ、シナリオ通りに。

善いと悪いとは別に、好きとか嫌いはあっていい。嫌いってのは波長が合わないだけだから。嫌いってのは悪いことじゃない。ただそうなだけ。

「ただそうなだけ」
って、なんという救いの言葉だろう。
知ってたのに、救いになりえなかった。
満を持して救いの言葉におなりあそばした感じだろうか。

やはり体験と、その考察が非常に重要なのかと。

わたしはシナリオ通り進んでる、そして未来はパラレルワールドでいくらでも選択可能ならば、わたしの思い描く未来は、、、、、

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