うらないと、語らいと

昨日は京都までルンタッタ。

正直よくわからなかった占いのあと、帰りに友と会えたことは幸いだった。

占いは昔からそれなりに好きだけど、こうも歳を重ねると聞きたいことなどほとんどない。懐疑的なのではなくて、選択肢が無数にあるうえに決定権は自分にしかないのだから今後の流れがこうだなんて誰にも言えないと思うんだよな。

それに、最近よく感じるのだが、わたし自身が変わっていってるのを感じるので、固定された「あなたの性格は~」とかがよくわからない。あとはシチュエーションとかにもよるでしょ。傾向はあるんだろうけど。それ知ってもどうなの、的なこともある。

変わっていってるというか、年齢的なものもあるんだろうな。おばさんがグイグイ厚かましくなっていく感じが自分にも起こってる。そしてそれはこんなにも本人にとって自由を感じることなのだなと体感している。諦めに似ている。そして開き直り。それは自分が何者でもなく無知であることを受け入れたときに、良い意味でオバサンへの進化を促してくれるものなのだなと思った。

まぁ占いは結局のところほとんど雑談的な感じで終わったのだが、カウンセリングの連想法のような感じで自分で意味づけをしていくだけであった。そういう意味では占いは有効であろう。蓋をしていた自分の欲求や課題をみつけだす手助けにはなる。ので、また占いは利用するだろうなー



そのあと行った串ものの居酒屋はなかなか美味しく、話も弾んだ。最近のやらかし話を話したのであるが、彼女は私が心のどこかで思っていたことをズバリ言ってくれたので、他人からそんな意見がかえってくるとは思わなかったわたしは不意に嬉しさに包まれた。まるで「大丈夫、たいしたことない、今しかできないことを楽しんだね!」と、こどもがオカンに一日の出来事を評価してもらったようで安心したのであった。

彼女の彼氏も一時参加してくれて、オカンが二人。いや兄弟か。なんかそんなあったかい雰囲気の中楽しくお酒を飲みましたとさ。

ちょっと飲んだだけなのに目が赤くなってびっくりしたわ。お酒弱いわぁぁ。


ごきげんよう

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