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受け入れる

ここらで書いとかないと。

昨日はトイレ掃除を4時間やりました。病んでるって言われました。
いや違うのよ。あれもこれもやってたらあっという間に時間が過ぎてしまって。でも壁から天井から拭いて網戸外し換気扇の奥の埃まで取って便座の裏から隙間まで歯ブラシ歯間ブラシと全て重曹使用を以ってピカピカの清潔な無香に近いところまでもってけたんだわ。我ながらやるな、と思ったんだがさすがに死ぬほど疲れた。とにかくすごい汚れで、母が骨折してからの汚れではなかったね。私は一階のトイレを使うことがないから盲点だった。。
寝る気なかったのに20時くらいに布団に倒れてしまって23時に起きてびびった。シャワーの際に塩振りまくって穢れを落しましたとさ。

えーなんか先週色々あった気がする。

そだそだ。最近色々断捨離してて、まぁ昔ごそっと断捨離したつもりだから割とものは少ない方だとは思うけれど、どうしても捨てられない紙類の整理をしてたんですわな。で、それをスキャンして置いといたらまた必要な時にプリントアウトすれば良いことに気づき、本棚をゴソゴソしていたのである。特に書道関係は、もう手に入らない、教えてもらってた先生の手本類が無造作にあるので手紙なんかも貴重と思ってたくさんある為、まだまだ整理しないとスキャンもできないわけだがそれをちょうど月曜あたり一回出して眺めて、量が多すぎるからまたしまったりして、久しぶりに書というものに思いを馳せていたわけです。
その翌日。コロナ前まで行ってたボランティア先の老人ホームから電話があり、ボランティア再開をお願いされたのである。なんとタイムリー。最近筆なんぞ持ってもないのだが前日にちょうどお手本類を見ていたのは何かの縁かなと思い、とりあえず承諾した。今すぐにでも、って感じだったけど再スタートの日取りはまた改めて連絡させていただくことにした。そしてまだ返事してないけど。いやほんと、予定がギチギチ過ぎて。来月にできたらいいなというくらい。ほんとは9月スタートくらいがちょうどいい。土曜月2回埋まるとしんどいんだが、これはとりあえず受けとこうと思う。説明できないけど、なんか、やるべきなのだと思うのだ。

木曜日、主治医の先生の説明を聞きに病院へ。母が同席する前に父と私で先生から話を聞く。色々検査して今回の症状は気管支喘息とのこと。内服のステロイドで効果があり、非常に落ち着いているという。これからは家で吸入でステロイドを摂取するみたい。
それよりも、先生は母の異常な栄養失調について話を切り出した。先生はとても良い先生で、一切憶測はなく冷静に、でも本当に母のことを思って色々考えてくれるような心がわかる、そんな話し方だった。
肺年齢が95歳以上と出ています、肺がこれなら他の臓器もそんな感じかもしれません。それは栄養失調が起因しています。このままだと突然心臓が止まったり、急に寝たきりになったり、思わぬ事態がいつ起こるかわかりませんよ、と。
食べれないのは神経性かもしれません、このような病名とかもあります、と色々と挙げてくれた。すでに非常勤で来ている精神科の先生にも軽く問診してもらったようだが、非常に判断が難しいと言われたようだった。話の筋は通っているようにも思える、ある意味でしっかりしているという。でも先生に話している内容に絶妙な嘘が入り混じっているのだ。先生もそれはうっすらとわかっていて、私たちに確認してきた。実のところその細部に関して本当に否定はできないのだ、恐らく嘘です、というところと明らかに嘘です、というところが家族でさえあやふやである。
4年前の先生も心配はしてくれていた。ただちょっと普通の人だったから、やはり家族への避難も見え隠れしていた。しかし今回の先生は内科で聞き上手だからか、わたしたちへの非難ではなく、あくまで色々調べたこととその考察、考え得る解決策の提案とその決断を聞くだけであった。それが救いだった。
先生に、今までのことを軽く話して(全部話すと1日かかる)、何度か病識を持ってもらおうと試したが聞こうとしない、その話はタブーで、しようとすると攻撃に変わるので引きずって病院に連れて行くのも無理でしたと言った。だから先生から促してもらえませんかとお願いしたら、任せてください、と言ってもらえた。
その後母も入れてまた改めて検査の結果を話して、とりあえず先生の説得で母も渋々退院後大学病院に行くことを了承した。まぁまだわからないけれど。決めたことを覆すのはしょっちゅうだから。そして行っても大きく変わるとも思えない。でも行くことに意味がある。そんな気がしてる。治ることはない。だけど一つのきっかけだ。
母が死ぬのは構わない。仕方ないことだと思う。でも私(たち)に後悔を残さないための行動が、できるチャンスがあるのなら必ず実行したいと思っている。
とりあえず火曜に先生からその後の検査結果を見ての判断から退院予定が聞けると思う。

その日の夜、夢を見た。
私は謎の気の乗らないコンパの帰り。帰り道に知り合いにばったりと出会い今から飲むからおいでと言われ、そっちの方が楽しそうだなといそいそとついていこうとしていた。ふと空を見上げると、遠くに見えるビル群のうちの一つの赤いビルが急に上の方からスローに崩れていった。するとゆっくりとその周りのビルたちも崩れていった。大規模なテロ攻撃のような光景。何か余波のような振動を感じて、周りの人々が逃げるので私も走った。すると海岸の手前に出て、そっちからは津波が来ていた。また私は方向を翻し、高台へと登った。あぁあと1時間でもこの崩壊が遅かったら少しでもあの知り合いたちと飲めて楽しい時間が過ごせたのになぁと命の危機なのにそんなことを考えていた。気づくと私は昔の弟のような小さな男の子の手を引いて逃げていた。高台の、ワンルームに入って、一瞬安心したのも束の間、その部屋の窓から見えたのはさらに次々と崩れゆくビルだった。そしてついにその部屋の窓に亀裂が入った。あぁここも安全ではなかったのか、、、と思ってもう逃げるのは諦めた。あと何秒持つかはわからないけれど、せめて最後は心の平穏を持って終わりたいと思って、男の子を抱き寄せて瞑想するかのように呼吸を落ち着け、全てを受け入れた状態でそれを待った。
しかし世界は終わらず、振動や音は止んで、とても静かになった。私は窓を開けた。階下には弟家族がいた。目の前のアパートには妹家族。どうやらこの一帯の建物は難を逃れたらしい。でも周りの、世界の状況がわからない。何もないワンルームの部屋で情報も何もなく、ニュースが見たい、と部屋を訪れた弟と話した。
ところで目が覚めた。

今回母が入院したのは、乱れまくっていた心を一旦落ち着かせるための束の間の休息のように思える。ただただ耐えてその後キレついでにこの環境から逃げようとしていたのだが、この夢を見てなんか違ったのかな、と思った。それさえも違ったらもうどうしたらいいのかわからぬ。
とりあえず落ち着いて、受け入れていこ。
これから(母、あるいは私の状況も含めて)よくなっていく、なんて楽観的にはなれないけれど、まだ大事には至っていない。少なくともあの世界の終わりのような夢のようには。これから終わりに向かっていったのだとしても、もうそれも止められない。ただそうとしか思えない。だから落ち着いて呼吸を整えるしか、それしかできない。そこには祈りさえないのだった。
しかし不思議と落ち着いているのは。
ここに母がいないからだろう。良くも悪くも人間界らしい旋風を巻き起こすお人よ、、、、



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