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妹week

ほんとうは、先週鹿児島から帰ってから書きたい欲があったんだけれども、妹のことでわやわやしてたので今。ようやく落ち着いて書斎コーナーに座ることができたのだ。

ほんでお茶タイム。

はと麦茶と薬膳ナッツ。

はと麦茶の味が大好きでガブガブ飲んでたらちょっとお腹が緩くなる感じがあるので我慢して一日3杯くらいにしてる。うぅ。体冷やすんかなー

鹿児島の滞在記なるものはまた改めて書きたいと思うけれど帰ってきてからの一週間はもう妹ウィークだった。

軽井沢旅行の後、母と妹がまた絶縁状態になっていたので(私はもう自分が仲を取り持とうとかどうこうしようと動くのをやめていたので放っていた。ネガティブな意味ではなく、そんな行為はナンセンスだと悟ったからだった)最近夫にモラハラDVを受けて疲れきっていた妹は実家に帰ってくることができなかったため、鹿児島に私や母や父が出かけることを知った妹は娘を連れて不在の間だけ実家に逃げるように滞在したのだ。そして鹿児島から帰った母は妹が来ていたことをすぐに察知し、実家に忍び込ませるような不愍なことを娘にさせたことを後悔し、あんなに怒り狂っていたのにそんなに辛い思いをしてるならこっち(実家)に連れてきなさいと私に命を下し(笑)私は妹と姪を家に連れてきて泊まらせた。母は自分の生活のペースを乱されることが大いに苦手なので苦しい決断だったろうが、妹を心配して話を聞いてやっていた。

今すごく簡単に書いてるけれどそこに至る道のりに私の地味な根回しがあったことは必須である。母が妹を受け入れなくても妹の限界を私は心底感じていたので鹿児島から帰った翌日母の命を受けたとはいえ化粧もそこそこに妹の家に向かって行ったら泣きはらした目で脱力している妹を見てすぐ来てよかったと思った。人の限界など通常わからない。限界ギリギリでも笑ったり話したりできる人はいるから。妹も芸能人の自殺が人ごとではないと思えるほどぐちゃぐちゃになった精神を自覚していた。こないだは子供にも手が出てしまったと、それも自分が自分で怖いと自責の念に駆られていたそうな。罪悪感が一番怖い。

夫婦のことにはあまり口出しすべきではないし当人同士が向かい合って解決していくことで、または解決せずとも耐えるなり流すなりして乗り越えていくものだとは思うけれど、SOSを出しているのならば家族は手を差し伸べるべきだしたとえ身内が悪かったとしても味方でいたいと思う。そして私は誰よりも妹の結婚生活、育児家事の様子を見てきたから彼女が彼女なりに頑張っていることも知っている。

それでも当人の意思に反したことはできないしするべきではないので妹に聞いてみる。「結局どうしたいの?」

妹はわからないという。

ま、それもそうか。ぐっちゃぐちゃになっている最中自分の意思だとかないよなーとりあえず落ち着かないことには自分の思考もまともにならんわなと思って連れて帰ったのだった。

彼女には心休まる時間が必要だと思ったのだがそれも一朝一夕には心休まるものではない。とりあえずは実家に帰って母と和解しやんちゃ盛りの子供を私が相手をすることで少しは顔もほぐれて来た。

泊まった翌日は私がハローワークの職業相談の日。妹と姪がついてくることになった。姪にはここでは静かにね、と言い聞かせて順番を待っていたのだが私の番号が呼び出され担当者の前にいくと担当者が「イスご用意しますね〜」とご丁寧に私の後ろをついて来てた姪に椅子を用意してくれた。あ、子連れありなんだ、、、と思いつつ助けを求め待合に座る妹を見るともはや他人のフリ。ご好意に甘えて姪を隣に職業相談をするも案の定じっと座ってられない姪に担当者は貴重な印刷用紙をくだすってお絵かきさせるも何描いたらいいかな?の応答と担当者との会話を交互に行って私の頭はフル回転、妙に疲れた面談となった。

その後は妹は母への気遣いと夫の夕食を用意しなければというのでショッピングモールで買い物をした後家まで送り届ける。

珍しく最後に「おねぇちゃん本当にありがとう、ほんまに限界やってん、ちょっとマシになった」と言ってマンションの玄関に消えて行った。

もちろんそれで安心したわけではないけれど妹の表情が幾分ましになっていたので一仕事終えたわ、と思っていたのだがその翌日も翌々日も電話は鳴りっぱなし。妹と話まくる妹ウィークとなったのだった。

うん、もちろん今日も朝から話しましたさ。

自分の問題ではないものが身近にあるもどかしさ。これも勉強ですな。

ごきげんよう

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