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姪の誕生日、そして意外な妹の世界

昨日は姪のお誕生日でした。

早いものでもう四歳。あの地獄の一ヶ月はもう四年前なのかと非常に感慨深く。

妹が「最近(姪に)冷たいよね」と言うので反論しといた。

なんでも言うこと聞くのが優しさではないし今はできることも広がって机の下に落としたものまで拾ってあげるのはそれは違うだろう、と。ひとりの人間として接するからこそこちらもできないものはできない、と言うだけであると。妹は不服そうに「そうだけど〜」と言っていたが色々と思うところがあるんだろう。各家庭の教育に口出しをするつもりはない(がつい身内なのでよかれと思って言ってしまうことはある)のだが教育ではなくイチ友人としてしたくないことはしないし嫌なものは嫌と言うだけなのだ。嫌われたっていい。嫌われるとも思ってない。だってかけた愛情は計り知れないんだもの。

しかしながら妹の迷える思考は大変そうだ。

妹の今の所の基本思考を聞いてあら、世界が違ったと思うので記しておこう。妹の理想の姿、それは魔法の国のアリスの中にでてくるハートの女王らしい。????となるが、どうやら簡潔に言うと人を恐怖で支配するやりたい放題の女王になりたいらしい。今ウィキペディアで軽く調べると「ルイス・キャロルは後年、ハートの女王を手に負えない激情や盲目的な怒りの化身として生み出したと記している」とある。今の妹の現状そのまんまだ。

とにかく「おねーちゃんみたいな平和でのほほんな世界は求めてないの。だってそうなったら公平な世の中になって物語の中であった裁判のときみたいに女王は笑われるでしょ」という。

そうか、わたしは妹と同じ世界にいようとしたけれど彼女の(今の)本心はこれなのか?と思って普段の話の通じなさに納得した。それが好きなら思い切りやればいいさーと投げることができる。味わいつくして荒涼とした景色に飽きたらまた同じ世界にいられるかしらねーと思った。

これだけ身近にいるのに全然わからなかった彼女の世界の楽しみ方、そしてわたしはそれに全く共感はできないが姉妹なのも何かの縁、お互いに違う世界の楽しみ方を披露しあおうではないかと軽く考えることにした。あやうく自分の世界がスタンダードで正しいもんだと思って引き込む(努力をする)ところだった。それに感じ方は刻々と変わる。究極のところ楽しんでいるという意味ではわたしたちは同じ価値観なのだと思う。妹は楽しくない!とは言うけれど。

そんな妹も、姪が誕生日を迎えたことで一年を脳内再生して振り返っていたらしく「昨年はあまりかまってあげられてなかったように思う、幼稚園が始まったことで幼稚園で学ぶだろう楽しむだろうと思っておでかけが減ってた。幼稚園に行ってる間は体力温存で寝てばかりでいざ帰ってきたら掃除を始めたり携帯みたりして、できることが多くなったからって放置をよくしてしまってた。だから今からは反省してもうちょっとかまうようにしてあげたい」と抱負を語っていた。誰に指摘されずとも本人が一番わかってるもんだな。これに気が付かなくなった時がおしまいだ。何も言うことはない。だれもえらそうに指図できるもんじゃない、同じ境遇の同じ性質のこどもを育てているわけでもないのだしな、と思ってちょっと最近無神経に妹に気づいたことをいろいろ話していた自分も反省。を5秒くらいだけしてやっぱまー色々大丈夫やな、と思った。だってわたしは知っている。彼女が携帯を見て何をしてるかと言うと姪のためのおもちゃや教材や洋服を購入したり情報をリサーチしているのだ。だから大丈夫なのだ。この能天気さが今の妹には腹立たしいようだが。


いろいろあって成長するのだ。こどももおとなも。そして振り返れば実はそのひとつひとつが幸せなシーンの連続なんだろうと思う。特に妹は、実は非常に自分に正直に誠実であるから、わたしよりはるかに素敵な人生アルバムになるに違いないと確信している。


ごきげんよう

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