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黄色のシンクロニシティ

定番になりつつある父と妹と姪とのドライブ。

本日はお墓へ。
なんとなくお墓へお参りするという行為を、姪に経験させてあげてみたかっただけである。

なんでもない日にお墓に行って手をあわせるのがいい。
理由なんてない。
みんなでお墓へ行って、土手を歩いて、お水をくんで、雑草を抜いて墓石を綺麗にして、手を合わせてご挨拶をする。

お花はお墓に行く途中の土手で咲いていた野草を少し摘んでお供えした。とくに黄色の花が印象的だった。姉のためにはお菓子を。


お墓を訪れるのは初めての姪だが、自然に場に溶け込んでいた。
てくてくわたしたちのあとをついてきて、お花を摘んで、わたしが墓石をこすろうと手にしていたブラシを奪って自ら墓石をゴシゴシしだした。

「きれいになったねぇ」と姪。
「うん、ここには大きなおじいちゃんと大きなおばあちゃんとおねぇちゃん(私)のおねぇちゃんがいるから、喜んでるわぁ」と私。

わたしがお菓子をお供えしたら、あ、欲しいと姪が手を伸ばすが、
「これはね、おねぇちゃんのおねぇちゃんにあげるから、手を合わせて目をつむってお祈りしたら、そのあともらえるよ」と諭した。
そしたらわたしの膝に乗って即座にその小さな手を合わせてうつむき目を閉じた。
わたしたちもあわてて同じように手を合わせる。
祈るってわからないかな?と思って
「こんにちは~ってご挨拶しよう」と言ったら
「こんにちは~」と。

途中姪はちらっともういいかな?とこちらを見上げたので薄目でそれを見ていたわたしはまだしばらく目をつむっていた。姪はもう一度うつむいて目を閉じた。

「はい、おしまい。このお菓子くださいってもらおうね」
とお菓子を姪に手渡した。

お墓には亡くなった人の魂が常時いるわけではないと思っているが、難しいことはなしにしても今世生まれてきた自分というもののルーツであり、手を合わせる拠り所としての場所を綺麗にしたり、そこに訪れることができることに意味があるものだと思う。

わたしはお墓に手を合わせながら本心から幸せと有難さを感じていた。

お墓の土手を歩く家族。
今日のこの光景を忘れないだろう。
これからも続くこの幸せな光景を。

そのあと近くのショッピングモールへ。
緊急事態宣言解除で人があふれていた。

某量販店でわたしは靴をみたかったので入ったものの気に入ったものはなく、姪をキッズコーナーへ連れていった。
姪は即座に黄色にユニコーンのプリントがされたTシャツを手に取り、これ、と。
安いしかわいいしそれならおばちゃんが買ってやろうと思ったのだがそのあと見つけたスポンジボブのこれまた黄色のワンピースを見つけて目を輝かせた。
鏡の前で合わせてるんるん。
「今日はひとつだけよ、どっちがいいの?」と聞いたら案の定スポンジボブ。
決めたあとの姪はもう他の服は見ない。その決断力には毎度恐れ入る。相当気に入ったようだ。
長いレジの列に並んでいると妹が後をおいかけて別の猫の顔プリントのTシャツも渡してきた。
「ひとつって言ったのに~」
仕方なくふたつ購入。でも姪は嬉しそうに買った後の袋をしっかり握っていたのでわたしの心を嬉しくさせた。

そのあと妹がレモネード屋の長蛇の列に並んでいるあいだ暇なので何の気なしに見ていた花屋で小さなひまわりの苗を見つけた。
母がずっとひまわりを育てたいと言ってたのを思いだして、その中でも直観でかわいい!というコを購入した。

帰りの車の中でレモネードを派手にひっくり返す事件もあったけれど無事ふたりを送りとどけ、家路につく。

帰ると母はひまわりをたいそう喜んでくれた。
さっそく父が何も植えてなかった庭の鉢にうつしてくれた。
父は朝庭で草木にあいさつするのが日課なのでお世話は父だろうが、今は一輪でも家に花の彩りがあると母の癒しとなるだろう。

そうして今日も素敵な一日が終わったのだが、振り返ると今日は黄色の日だった。

お墓へ続く土手に咲いていた黄色い花、まぶしい太陽の黄色い光、空気も心なしか黄色く感じた。黄色の花に影響されたのか姪の選んだ黄色の洋服に、レモネード。最後にみつけたひまわりの花。

幸せの黄色。
それは暖かいシンクロニシティだった。

それではごきげんよう、また明日。

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