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陰陽ゆらゆら

良かれと思ってなんだろうが。
聞いてもないのにアドバイスをしてくる人がいる。
なんなら本人も意識している、どうにか変えたいと思っている事柄に
正論を悪気もなく浴びせる。浴びせる意識もなく。

河合隼雄先生のどれかの著書で。
ヒットを打とうと思っているバッターに、ああしろこうしろ、とアドバイスするのは一番役に立たないことだ、とあって。妙に納得したので覚えている。
当事者にならないと本当のところはわからない。

私たちは本当のところは誰にもアドバイスなどできないのだ。経験を聞かれたら答えるだけ、にとどめるべきであろう。本当に自分でも気をつけたいところである。


今年大雑把にみても三度も経験した死にたくなるような閉塞感は、勝手に自分で作ったものとはいえ、その時その時ではどうしようもないものだった。
確実にソレが心身ともに蝕んでいるのは分かっているのだが、ノンデュアリティーやマーク・トウェインの人間とは機械であるという思想に救われたものである。資質、環境によって思考や行動が決まるというのは、自分に一番罪悪感を抱かなくてよいと思える唯一の思想であった。ストーリーとして決まっているならば。今思い悩む必要がない。ただ、そのストーリーは進んでいくだけなのだと。受け入れるしかないのは、残酷なのか祝福なのか。

今年は安定することなく常に揺さぶられていた年だったな。
もちろん今でさえ。いつだって幕が閉じたらいいと思っているのになかなかそうはならないのもシナリオ通り。

何故か縛られていた2023年ももうおしまい。
来年はどうせ壊れてるなら、とことんまで環境壊してしまえと、密やかに決意するこの頃。

危なっかしい文章ではあるけれど、割と整えている。祈りの効用も実感してる。それでギリギリ保ってる。でも人生なんてそんなもん。陰陽ゆらゆら。

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