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放下着

人の死というものにほとんど触れてこなかったので、祖父が他界したと聞いた時には「そうか」としか思わなかった。

気質といい顔といい父方の血が濃いのは自他共に認めるところではあると思うが、哀しむには祖父との思い出が少なすぎた。

とはいえ小さい頃には姉弟で祖父の家にお泊りしに行ったこともあるし、家が近いので遊びに行くことも多々あった。それでも叔祖母が亡くなったときのような寂しさは感じなかった。それくらいに祖父とは心の距離が遠かったのだ。祖父が冷たい人間だったわけではない。思うに、わたしたちはあまりに近い気質のために、今世では感情面で深く関わる必要がなかったのではないだろうか、というのが今の所の結論であーる。

祖父は書に秀でていた。とくに習ったわけではないと思う。飼っていた鳥をよく墨絵で書いていたが、上手だった。歌が大好きでカラオケ大会みたいなものに出てはステージで披露していた。とにかく多趣味なのだ。いつも鼻歌を歌って知性の光る冗談を言う。死ぬ間際までそんなだった。91歳になる手前で人生を終えたが、昭和の動乱を生きた人特有の目の深さがあったように思う。端的に書くと、何を考えてるかわからない人、だったのだ。

何の徳を積んだんだか在宅でお世話になった医療関係の人は見事にいい人ばかりで、去るタイミングも周りの負担にならぬよう計算されたかのように素晴らしい時期、苦しまずに渡ったのが伺える表情で文字通り仏になった。

祖父の通夜の日に親友と会った。英語の話になり、英訳本を読むのがいいよ〜と聞き、難易度高めだけどなんとなくいいなと思って真似することを決意。よしもとばななの英訳を読むにあたり「キッチン」を改めて読み直してみることにしたのが今朝。仕事から帰ってきて続きを読んでいたら、物語の中で遺書を読んでるシーンで突如泣けてきた。自分の何かに触れた感じだった。一般的な感慨深さ、それが涙となって表れただけの何も引きづらない単純な、それでいて表現に表せない想いの物質化だったように思う。短く泣いたあと、人生の素晴らしさをなんとなく感じてヨガマットに大の字で寝転んだ。座ったり立ったりの状態では居られなかった。体全体を感じて、奇妙な喜びに浸った。少しだけ。

本人にその気はなくとも、祖父はいい感じにわたしに何も残さなかった。これってすごいことな気がしてくる。愛情さえも執着なのだ。

禅語の放下着が頭に浮かんだ。

長生きすると、もう仏の域に自然と突入するんだなぁと、というか自然にまかせときゃいいんだなぁと、祖父の素晴らしい人生に、そしてわたしも、どんな人の人生も素晴らしいんだなぁと思った夜でした。ちゃんちゃん。


ごきげんよー






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