なくした

今朝は雨。
いつも行ってたバーのマスターの告別式に出席。

親戚のおじちゃんみたいな存在、そうやって思ってた。亡くなって改めて親戚のおじちゃんみたいに依存してた自分を発見した。

居場所がひとつなくなった。もちろん飲みに行く場所っていう物理的なものもあるけれど、思っていた以上にあのマスターに救われていたんだなぁと実感せざるを得ない。

想い出は数えきれないほどある。思い出すと泣くから書かない。いつでも引き出せるくらい脳内ストックがあるし。

ある意味どんな友達よりも私の心の支えになっていた。丸ごと受け入れてくれるひと。わたしの考えをそのとおり、と肯定してくれるひと。客だから、とかじゃない。そんな振る舞いはあの人はしない。そういう信頼感のある人って少ない。そのひとりを失った。これが喪失感か、としみじみ感じている。

近頃ほんとうに忙しくて、そして疲れすぎてて、自己中になっていて、仕事にわたしのプライベートも心も侵されていたようにしかおもえない。そんな中お店に行く足も遠のいていた。

わたしの苦しかった時代は、あの店とともにある。あのマスターなしには乗り越えられなかった。わたしの人生ドラマの中で、こんなにあの店が重要とは思わなかった。
訃報を聞いた時、わたしは「ありがとう」を何度も心の中で唱えてた。反射的に、それしか言葉にならなかった。単なる客にそんな風に思われるマスター、すごいとしかいいようがない。

失くして初めてわかる。そんなの嫌だ。後悔のない人生にしたい、完璧にはできないけど、やっぱり優先順位はとても大切だなぁ。

というわけで、わたしは家族との時間を大切にしたい。自分の大切な人とできるだけ長く過ごしたい。

今の職場で、学んだことはたくさんあるし、感謝もしてる。でももうやり切った。やりきったし、このままではいけない、というシグナルが限界までようやくきたので辞めるとする。限界までこないとやめないのはもう性分だから仕方ない。

繁忙期乗り越えて、さぁ、ゆっくりしてから今後のことを考えよう、あの店にもそろそろいこう、と思ってた矢先の喪失感。まだやる気は起こらない。でも大丈夫、わたしは大丈夫、とこれからは脳内マスターと喋ることとする。

ごきげんようマスター。

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