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祖母について

【この記事は1/11日に下書きで止まっていたもの】

出社して少ししたら母から電話がかかってきた。
祖母の意識状態がよくないとのこと。
ずっと面会もできなかったが今なら10分だけ許されるというので
迎えにきてもらって病院へ向かった。

祖母は呼吸器を付けた状態で口を開けていびきのような音を出していた。
母は病院の迷惑もなんのその、大きな声で祖母に呼びかけ、
手をひたすらさすっていた。わたしは反対側の手を握っていた。

呼吸だけをしていた祖母だったが、ぽかんと開けた口が閉じて、また開いたかと思うと、母の呼びかけに対して答えるように口とその奥に見える舌が動いていた。
声は確実に届いていた。体はもう動かなくても、反応していた。
握った手に少し力が入って、それが「ありがとう、わかってるよ」の印だった。

母は顔がぐちゃぐちゃになるまで泣きながら祖母に語り掛けていた。
いつもなら過剰な演技にうんざりするのだが、この場に適している振る舞いだなぁと冷静に見ていた自分がいた。
祖母はこの感情表現豊かな娘を愛していたのだろう。そしてわたしは母を少し羨ましく思った。

もう積極的な治療はしていないとのことで、それでもわたしは祖母の手を握りながら気を送るように祈っていた。ちょうど昨日祖母に送ろうと思っていた写真も持ってきていたので、写真にも念を込めて、病室に置いてきた。もう

ちょうど最近祖母のことを考えていた。祖母の人生について。どんな考え方をして、何を思って、喜んで、悲しんで、どのようにしたらあんなに高潔な精神状態でいられるのだろう。と。

小さいころの思い出も多いのだが、5年くらい前の、頻繁に祖母のお世話係をしていたときのことを思い出す。あの頃母が祖母と口をきかず、代わりにわたしが訪問していた日々。毎日かかってくる電話。状況だけは把握したい母への報告。母が叔父と喧嘩していたこと。そのせいで祖母の面倒は叔父が全面的に決定権をもつこととなり、開放感も正直あったこと。板挟みの中でわたしは祖母をおろそかにしていた気がしてならない。後悔だけが残ってる。と、いう心の奥にしまい込んでた感情を今しっかり認めた。

それでも、あの状況でのわたしの精一杯の行動だった。し、祖母はそれをわかってくれている。ボケはじめて母がわからなくても私だけはすぐに認識していた祖母。わたしだけが知っている、祖母とのつながり。だと思いたい。





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