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瞬間を捉える

最近このブログをつけることを日課にしてから、少しでも彩りを持たせるため写真を掲載したいので、何気ないものをよく撮るようになった。

その行為は、そのへんの野草や木や葉っぱを、とても生き生きとして見せてくれるようになった。

わたしは裸眼で生活しているが、両目とも0.1ないくらいなのでだいたいぼやけて見えている。眼鏡をかけて周りを見渡すと世界はこんなにも細かく鮮やかな形をしているのか、と驚くことが多い。それでも眼鏡は嫌いなのでかけない。ぼやけて結構、だからこそ見えたときの感動があるのだい。

とにかくぼやけた目で草や葉っぱに目星をつけ、近づいて写真を撮るようになった。技術なんてない。ただ写すだけ。

それらにフォーカスすると、なんと存在感のある命なのだろうと瞬間を捉える度に小さく感動を覚える。

写真を撮らない時でも並木道の草花や木をよく観察するようになった。
葉っぱの形や、枝の垂れ下がり方、垣根の整えられた葉にまきつくように違う種類の蔓が被さっていることもあるなんて、気が付かなかった。
雑草の中に強く生えている野生の花は生き残るためだろうか、たくさんの花をつけているし、あとは虫がどこにでもたくさんいるね。

虫については小さいころから山手に住むことが多かったので身近な存在だ。
先週もオンラインレッスン中に5センチくらいのゲジゲジが足元を通ったのでそっと逃がしてやった。先生もレッスン仲間もぎょえーと言っていた。

自然は美しいものではあるが、虫には注意である。
岩に登って少し座って休憩しようものならだんだんかゆくなってくる。
小さな虫、ノミだっているし、綺麗な花に近づきたくても蜂さんがお食事中なのだ。

庭には得体の知れない木があって、誰もその木がなんの木なのか知らない。
父はたぶん林檎の木、というが、こないだ一緒に見たときに「ほら、葉っぱがテカテカしてるやろ、これは水じゃない。あとこれ、枝のところの白いのはアブラムシや。植物と虫の攻防戦やな。」

聞いてゾッとした。むやみに触れてはいけないと悟った。

それもまるまる全部自然ってこと。自然は野蛮でもある。

だから軽い気持ちで自然を見に行きたい、緑に触れたいなどと思ってはならんと思う。
そういう人は人工的に整えられた自然を見に行きたいだけなのだ。

かくいう私も野蛮な自然には近づきたくない。
虫、苦手。年中戦ってるし。

まぁ草木に限らず他のものも立ち止まって瞬間を捉えると、また何か発見があるかもしれない。

小さな発見は、わたしにとっての大発見なのだ。それは身近なところにある。


あー今日も眠い。
おやすみあそばせ。

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