オタクは女性の敵か

オタクは女性の敵なのだろうか。

「女性の敵」を「実在する女性を性的または社会的に搾取・支配する男性」と定義した場合、その多くは非オタク層なのではなかろうか。

女性の敵となる男性の多くは基本的に「こじらせた支配欲を不適切な方法で実行する人物」であるといえる。
「支配欲をこじらせた人物」は「負け組」であると思われがちだけれど、そうともいい切れない。
それは、痴漢常習犯に高学歴が多いことからも伺える。

「支配欲をこじらせた人物」とは基本的に「権力志向の強い人物」である。
いつか支配側に回ることを夢見る彼らは、現時点でその支配欲を満たせなくとも、権力志向そのものを否定することはない。
権力志向を標榜しつつも、満たされない支配欲を抱えつづける。
そうやってできあがった「支配欲をこじらせた人物」は「中途半端な勝ち組」に分類される人物であることが多い。

女性を生きづらくさせている様々な「女性の敵」。
その多くは「中途半端な勝ち組」であるといえる。

また権力志向の競争社会で生きてきた旧世代の男たちは、その競争を男性優位に進めるため、ホモソーシャルで女性を排除してきた。
古い女性蔑視の価値観のもとで正当化されてきた女性の社会的迫害。
こういった「権力志向を標榜するホモソーシャルにおける支配欲求」が軸にあって、その中でもことさらに「支配欲求を満たされなかった中途半端な勝ち組」が「女性の敵」と成り下がっていく。

一方で、オタク層には「負け組」とまではいわずとも、「ホモーソーシャルの競争社会からドロップアウトした人物」が多い傾向がある。
「いつか支配側に回れる可能性」を最初から諦めている人物が支配欲をこじらせることは少ない。

それでもこじらせた一部の性格異常者が犯罪に走ることはあるものの、実際にオタク層が「女性の敵」となるケースは稀である。
もしオタクが女性に危害を加えたならば、メディアがここぞとばかりに取り上げるはずだけれど、そんなニュースはたまにしかない。
数多の女性の搾取事案からすれば統計的には例外中の例外といえる。

オタクは「女性の敵にならない」のではなく「女性の敵にすらなれない」と言いかえることもできる。

女性から「キモオタ」などと揶揄される層であればなおさら、幼少期から女性に蔑まされ続けてきたため、「女性よりも弱者で被害者」であると自認していることが多い。
いわゆるインセルであるが、欧米と違って日本のオタクには現実の女性にその鬱憤を晴らそうする人が少ない。
わざわざ危険な橋をわたってまで現実の女性に関わるよりも、創作物による代償行為で欲求を昇華する方が合理的かつを現実的であると判断するのが日本のオタクの特徴である。

次に、児童性愛者と児童性犯罪者の混同についても触れておこう。
児童性犯罪者の多くが先程取り上げたような「支配欲をこじらせた人物」であり、こじらせた支配欲の矛先を弱者にむけた卑劣な犯罪者である。

世間的には「弱いものを支配したい卑劣な人間が児童性愛者になる」と思われがちだけれど、「児童性犯罪者の多くが実際には児童性愛者ではない」ことが研究でわかっている。
このことから分かるように「児童性犯罪者が弱いものを支配したい卑劣漢」であることに疑いはないが、「児童性愛者が弱いものを支配したい卑劣漢」というわけではない。
ここを混同している人が未だに多く、表現規制問題において話がこじれる原因となっている。

また児童性犯罪にだけ絞れば、その加害者の大多数が被害児童の父親または親族であることも統計で分かっている。

しかし、「中途半端な勝ち組男性」だとか「女子児童のいる家庭の父親」というのは範囲が広すぎて「女性の敵」としてくくって攻撃するわけにはいかない。

そこでわかりやすく攻撃しやすいパブリック・エネミーとして選ばれた「女性の敵」がオタクだったというだけの話なのであって、本来多くのオタクは「女性の敵」ではない。

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