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なぜに慈悲

https://twitter.com/wanyankokko/status/1332089893359501312?s=21

元記事の反響が大きいため、私のコメントにまでかつてないほどいいねが付いてビビってる。

で、なぜ反響が大きいのかについて、ちょっとだけ考えた。大元のツイッターで書くといろいろ言われそうなので、ここでこっそり呟いてみる(ビビり)

人間の何が厄介かって、子をもうけて社会の一員として育てたいという意志と子作り行為をしたいかどうかが必ずしも一致しない所。
でもその煩わしさこそが命の神秘であり不思議な訳で。

もちろん性教育は大切だし、望まない妊娠も虐待も起こさないに越した事は無い。

けれど、出来たら出来たで「しゃーない!育てるか!」てな風に産んで育てる方向で覚悟を決める事までもがヒンシュクなのは、ちょっと厳しすぎやしないかと。

だって性欲はコントロールこそ必要だけど、欲自体は無くせない。生存本能そのものだから。

そして、子を授かるとは…命の発生とは普通に神秘であり奇跡。よって想定外も充分起こりうる。

もちろん子どもは産んでからの方が圧倒的に大変。

産後クライシスなりワンオペ育児なりの話を見聞きするだけで「子どもは誰かの協力が無ければとても育てられない」ってなるけど、それは言い換えれば「子どもは誰の子でも社会の皆が大なり小なり協力して育てる。義務ではなく、望む望まないにも関係は無く、大小なりと皆が自然と関わりを持つ様に社会が出来上がっている」という意味にも取れないだろうか。

確かに仕事に穴開くのは迷惑よ。
赤ん坊はうるさくて手がかかるよ。
コロナのせいで社会不安で生活も不安。うちもだ。

望んでも子が授かれない苦しみだって経験上分かる。あれは本当辛い。死にたいくらい。

苛立つ気持ち、分かる。分かってしまう。

全て分かりみしかない。

ただね、現在子育てステージに関係無い人間全てが100%知らん顔か敵意剥き出しにしていたら少子化問題は永久に解決出来なくないか?って風にも感じた訳で。

いや、少子化問題を改善するしないなんて些細な話じゃないのだ。

子が…後に続く世代の枯渇は、今現役で生きる人々の功績や作り出した沢山のものを受け継いで、取捨選択したり鍛え直したり、または更なる良いものへと発展させる可能性の先細りに等しい。

もっと卑近に言うならば、10〜30年後、一緒に仕事したり映画観たりゲームしたり「これだから年寄りは…」とぶつぶつ言いながらも最新ガジェットの操作を教えてくれたりする人達が…社会の「仲間」が育たない。

うーん良くない。ではどうする?

そこで鍵になるのは、未来への想像力と慈悲の心。


大事だからもう一度言う。今はまだ言葉の通じないお子様でも、数十年すれば立派な社会の一員で、私達の仲間だ。

どこかの誰かが私達の仲間を、あるいはパートナーを、未来のために育てている。

だから、これを読んだ貴方にもし何かのきっかけで小さい命に対する慈悲の心が0.1%でも湧き上がった時、それを行動として表す事が自分達の属する社会と未来を育てる事に繋がるんじゃなかろうか、と。

性欲でも、父性/母性本能でもない「慈悲」


憐れみの気持ちを持とうなんて命令もお願いもするつもりはない。

慈悲とは、理知的に生きている人ならば、然るべき時に自然と湧き上がる気持ちなはずだ。

そう私は信じている。


※「慈悲」の言葉の使い方について、念のためにウィキってみたら思いの外深かった。

最終形態までいけずとも、第一ステージの慈悲を鍛えるだけで相当立派な魂じゃね?と感じた次第。

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