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在るものを見つける

最近、家の近所で発掘調査が行われている。何が出てくるのだろうとワクワクしながら横を通り過ぎる毎日だ。小学生の頃、考古学者になりたいと思ったものの、お金にならないよ、という一言でやめたのは懐かしい思い出だ。

と、ここまで冒頭を書いて一つ。
さっき最後まで書きあげたのにワンクリックで消してしまったのだ。記念すべき最初の記事だというのにショック。(次からは他に下書きをしてからにしたほうがよさそう。)

本題に戻ろう。
発掘調査にワクワクする気持ちは、未知なる出会いを期待する心の表れだろう。ただ、発掘調査は「かつてあったもの」を発見する作業であり、存在しなかったものとの出会いではない。突然、何かがふっと出現することがない限り、私(達)の指す「発見」は「存在しているものを認識できた」という事実を指している。そこにあるから認識できるのだ。それは事実としては0→1ではないのだが、私は発見する前はその存在をしらない。ということは、私の認識のなかでは0→1ということになる。

ただ、その発見した対象は、発見される前から存在していたことは確実だ。

なにかを見つけたとき、あたかも新しい発見のように思うけれど、そこに在ったことを発見したとするならば、「なくしていた探し物」に出会ったような、そんな喜びがあるだろう。

散歩道、毎年咲いていたタンポポの花に突然気が付いた春のように。

サムネイルはタンポポ。漢字で書くと蒲公英。江戸時代は鼓草と呼ばれていた様子。
花言葉は「神託」「真心の愛」


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