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KAT−TUN

2020の年末にごくせん2が地上波で再放送したことがとても話題になった。これは歴史的快挙だと僕は思う。

今や違うステージで輝いている仁亀コンビが、同じ画面で、しかも地上波で、KAT−TUNの名を背負って映っているのだから。

Mステなどその他音楽番組では、悲しいほどに船を降りたメンバーを編集で映さないようにしてきたこの時代で、オリジナル映像を流すことはありえないことだと思われていた。ほんとに日テレの英断に感謝したい。

そして当時リアルタイムで見ていた時僕はまだ幼稚園の年長さんくらいだったので、ただただかっこいいという感想しかなかったが、今回改めて全話見たが、当時とは違う感情が湧いてきた。やっぱりヤンクミの言葉ひとつひとつが心に刺さり、まるで僕もヤンクミの教え子になっていると錯覚を起こすほどだ。


僕はKAT−TUNがデビューした2006年からのhyphenである。このデビュー前のとてもJr.だとは思えない2人の映像を見て、KAT−TUNに興味が湧いた人のために僕からKAT−TUNの伝説をお話したい。

まず、KAT−TUNはKinKi Kidsのバックダンサーとして結成した。その当時から振り付けに自分の個性を強く出しすぎて揃うことがなく、よく怒られていたらしいが、逆にそれがグループの個性だと、次第にチャンカパーナすらまともに躍らない人が所属するようなグループが誕生したのである。

そこから、関ジャニ∞やNEWSが先にデビューし、長い下積みを経験する。

そして2005年1月にこのごくせん2で仁亀の人気が爆発的になった。

この時のKAT−TUNはJr.ながらもものすごい人気で、当時のデビュー組を脅かすほどだった。

まずMステに複数回出演した。ごくせん2の全盛期に出演した時は、今ではありえないが、局をまたいでドラマセットからの生中継で歌唱した。仁亀に負けず劣らずほかのメンバーの学ランヤンキー姿がまたありえないほど似合っていてカッコイイ。

そして、ジャニーズカウントダウンにも出演していた。

また、ごくせん2の始まる前にLive 海賊帆という名の単独コンサートを行い、それも大成功を収めている。その時の仁亀のビジュアルが、撮影と重なっているため、ごくせんのまんまである。

その後、2005年10月から亀梨和也が野ブタ。をプロデュースで修二と彰で山下智久とミリオン達成し、さらにKAT−TUNの名前が知れ渡った。

KAT−TUNがデビューする頃には人気は当時の嵐を超える勢いであった。

2006年3月22日に''Real Face''でCD、''Best of KAT−TUN''というベストアルバム、''Real Face Film''というDVD3作同時発売でデビューし、''Real Face''がミリオン突破した。また、デビューを記念し、発売日の約1週間目に東京ドームで記念ライブを行い、Mステで一部が生中継された。デビュー前に東京ドームで公演したのは史上初で、これは今でも塗り替えられていない。

東京ドーム関連で言うと、デビュー2年目の2008年に''Queen of Pirates''で当時の史上初4daysを行い、その翌年の2009年に''Break the Records''で史上初8日間連続東京ドーム公演し、その後、京セラドームで3daysと追加で東京ドーム2公演を行い、計13daysドーム公演を成功させた。これは後にも先にも記録を塗り替えられることはないと思う。

本当はもっと語りたいことあるが、ほんとに長くなりそうなので、今回はここでやめておく。

というかwikiにほとんど載ってるので、もっと知りたい人はそこに飛んで欲しい。



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