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いつも終わりに近づいている

12月になって、年末も新年ももうすぐだっていうのに、わたしはまだ何も考えられない。
このあいだのことを少し、書きながら考えようと思う。

今月頭に東京のバーでボディペインティングショーをやってから、一週間以上が経った。たった一週間なのになんだかとても遠い記憶で、存在していたんだねあそこにね、とまるで思い出話みたいに語ってしまう。

いただいたたくさんの写真や素敵な感想を見返してようやく特別な夜だったと理解する。自分では、もう何がなんだかほとんど覚えていない。
でも確かにあったんだよな。絵の具にまみれた夜が。そしてそれを一緒にやれるひとがいたんだよ。


ショーの翌日にかいた日記は、熱がこもっていて冷静じゃないけど、その時の声がかいてあった。


『ペインティングショーをふじはらゆきとしてやっていたら、絵の具を身体中に塗る楽しさ、全能感、よく見られたいという欲、隣でこの場を共有できるKさんという存在のかけがえのなさと有り難さ、喜び、奇跡みたいだなときっと感動したりもして、全然違うものになっていただろうと思う。

そしてきっと完璧であろうとしてしまっただろう。ショーに対しても、観客に対しても、Kさんに対しても。

Rという人間でいられたことで、ふじはらは何の関係もなくなったので、笑わなくてよくて、良く見られなくてもよくて、自意識をほとんど手放しそうな状態になって、そうして浮かび上がってきた海底の泥のなかには、なにも持たない心の虚しさと、身体を自ら確かなものにしてゆく表現の苦しみ、鍛えてきた外皮を失う痛みがあった。(19/12/2日記より)』


あの時感じていたのは確かに苦しみで、それはショーが終わった直後にKさんと一緒に吹き出してしまったときに気がついた。我慢していたわけではないのに笑いは止まらなくて、大粒の涙がふたつだけポタポタと落ちて、ああ、苦しかった、と思った。


もしかするとそれはすべて、大きな大きな快感だったのかもしれない。
快感は行き過ぎると苦しくなると思い知る。
表現することや融合に近付くこと、その喜びや痛みさえも気持ちがよくて苦しかった。
本当のところは自分でもわからない。
何かしらの脳内物質がドバドバと出て、そこに溺れていたような気もする。
あやふやな記憶を辿ることしかできないけれど、あれは不思議な夜だった。



いつか「ここは宇宙の谷間」と言ったのはみうらじゅんだったかな。
この世界にそんな場所があるとしたら、あの時あたしたち、そこにいたのかもしれない。




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