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『革命哲学としての陽明学』を読む

太虚に帰れ

 三島は評論『革命哲学としての陽明学』の中で、大塩平八郎の陽明学理解を次のように紹介している(決定版36)。それによれば「太虚」とは、ウパニシャッドのブラフマンのような唯一無二の宇宙の根本原理であり(286ページ)、万物創造の源である(284ページ)。太虚は人間の肉体の中にも広がっており、心から欲を打ち払ってこれに帰れば、その人は不動である(296ページ)。このことを大塩は、壺の中を満たしている空虚が、壺が壊されれば太虚に帰ることに喩えている(284ページ)。

 ところで、三島本人はこのような考えに賛成していたであろうか。或る意味で賛成していたと言えるかもしれないが、上記のような考えは、三島の考えと全く同じではなかったように思われる。というのも、確かに上記の考えによれば、肉体は滅んでも心は滅びないので、この世に恐ろしいものは何もない(297ページ)。しかしここからは、死ぬことそのものを求めるような考えは出て来ないだろう。しかしたとえば『太陽と鉄』を読めばわかるように、三島は明らかに死ぬことそのものを求めているのである(『「太陽と鉄」を読む』(1)~(4)参照)。

陽明学的行動原理

 では三島にとって上記のような考えはどのような意味を持っていたのであろうか。三島は次のように語っている(306ページ)。

この陽明学はおそらく、乃木大将の死に至つて、日本の現代史の表面から消えていつたやうに思はれる。その後、陽明学的な行動原理は学究を通じてではなくて、むしろ日本人の行動様式のメンタリティの基本を形づくることになつて、ひそかに潜流し始めたものであらう。〔中略〕陽明学的な行動原理が日本人の心の中に潜む限り、これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは予言してもよい。

 ここで三島は、学究としての陽明学は終わったが、陽明学的な行動原理が、日本人の行動様式の基本となったとしている。そしてそれに基づく政治的事象が次々と起こると予言している。三島の割腹自殺は或る意味で大塩的な行動であったと解釈することが可能なので、三島は上記のような陽明学的行動原理に基づいて行動したと考えることができるであろう。

 三島がこの評論を「革命哲学としての陽明学」と題したのも、このことのゆえのようである。彼は次のように語る(309ページ)。

陽明学はもともと支那に発した哲学であるが、以上にも述べたやうに日本の行動家の魂の中でいつたん完全に濾過され日本化されて風土化を完成した哲学である。もし革命思想がよみがへるとすれば、このやうな日本人のメンタリティの奥底に重りをおろした思想から出発するより他はない。

 三島によれば陽明学は、日本では、行動家の魂によって濾過されて、革命思想となったのである。

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