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#ベートーヴェン第九の私のツボ

全国各地で、「第九」が演奏される季節になった。日本のクラシック界において、第九は特別な文脈を持っている。

ベートーヴェン作曲、交響曲第9番ニ短調作品125、『合唱付き』。略して「第九」。

日本で初めて第九が演奏されたのは徳島県らしい。兵庫から明石海峡大橋を渡って淡路島を縦断し、鳴門海峡も渡ってしばらく高速を走ると、インターの出入り口あたりに「第九を初演した町」的な看板を目にするはずだ。

12月の日本で、第九が演奏される理由は諸説あるものの、12月に卒業を先回しにした戦争に赴く学徒を壮行するために第九を演奏した、というのが由来だとする説が強いようだ。

今ではCMでも何でも、あの「歓喜の歌」を12月になるとよく耳にするので、あれを聴くと「年末だなぁ」と再認させてくれる。

Twitterを見ていると「#ベートーヴェン第九の私のツボ」というタグが流れてきた。筆者はこれでも、高校1年生から社会人3年目まで、ある合唱団で第九を毎年歌ってきたという少しばかり自慢できるキャリアを持っている。なので、ある程度第九については知り尽くしている。が、諸先輩方や諸ベテラン方や、諸クラシックオタクの方々に比べて知識量などは劣ると思うので、それらを踏まえた上で私なりの「#ベートーヴェン第九の私のツボ」を書き記しておきたい。

ツボ①3つの主題を打ち消すチェロ・コントラバスによる枢機院

これは私が高校生の時の音楽の授業で習った第九の考え方であり、この聴き方が楽しいから今でも踏襲している。

第1楽章冒頭。第1ヴァイオリンによって主題が提示される。

第1楽章の冒頭、32部音符のシンコペーションを伴う「パパーン」という印象的な主題が提示され、終始楽章の中で提示され続ける。

第2楽章冒頭。

さて、第2楽章のスケルツォでは、強烈な短い序奏の後に、黄色で囲った主題が現れてから、それを動機としてフーガを作り出す。

第3楽章冒頭。

甘美な第3楽章。冒頭に主題が提示され、ヴァリエーションとして、さまざまに変奏を繰り広げる。

さて、簡単に第3楽章までの主題を紹介した。次に第4楽章の冒頭からを紹介するが、結論を言うと、この3つのそれぞれの楽章の主題が、第4楽章の冒頭に登場する。

第4楽章冒頭。

Prestoの激しい序奏のあと、ピンクの蛍光ペンで引っ張った、チェロとコントラバスによるユニゾンのメロディーが奏でられる。これがいわゆる「枢機院」である。この枢機院は、第4楽章に相応しい主題を決めるための会議を行なっている。セリフを当たるとするなら、「さて、今からその楽章を決めていくが、どんな主題があるかな?述べてみよ」こんな具合だ。

さて、第1楽章から主題が提示された。黄色の部分である。「このような主題はいかがでしょう?」
すると枢機院(ピンク部分)は、「うーん、なんか微妙だな。他に別のいい感じの主題はないかね?

次に第2楽章から主題が提示された。「こんな主題はいかがでしょうか?」
すると枢機院は「うーん、ビミョいビミョい!もうちょい違うやつないの!

次に第3楽章から主題が提示された。「こんなのはどうでしょうか…?」
すると枢機院は「うーん…ちがうちがうちがーーう!こんな調べが聴きたいんじゃないの!全然ダメだね!君たち使えないね!他にないの!?」かなりキレ気味で主題を否定した。苛立っているみたい。

するとそこに、ある者が次のような主題を提示した。

提示された主題はあの有名なフレーズ

「このような主題はいかがでしょうか?」提示されたのはあの有名な歓喜の歌の音型。
すると枢機院は「おお!いいじゃんいいじゃん!これだ!これが聴きたかった主題だ!奏でたかった主題ではないか!」喜ぶ枢機院。さっきまでの短調から長調にもなり、喜びを隠せない様子である。ツボを挙げるとするなら、この枢機院の喜びの瞬間。
その後、「よおし!主題が決まった!このメロディーに従って君たちもついてきたまえ!」と言わんばかりに、枢機院たちが先頭を切って主題を奏で始める(黄色棒線部分)。そしてその枢機院の思いは、のちのバリトンのレチタティーヴォに引き継がれるのである。

ざっくりまとめると、第4楽章の冒頭はこのような寸劇じみた感覚で聴くことができる。チェロやコントラバスが本当に喋っているようにレチタティーヴォしているので、そのように聴こえるのではないだろうか。こういう聴き方もしてみてもらいたい。

ツボ②登場シーンの少ないピッコロの輝き

ピッコロという楽器といえば、フルートよりも短い横笛で、高い音を出す特徴があるが、第九においてピッコロが登場する場面がある。しかしその登場シーンはとても短い。第4楽章の途中のマーチ風の部分と、最後のプレスティッシモの部分だけである。

たいていピッコロの奏者は、第2楽章終了後の合唱団入場のタイミングでシレッと一緒に入場してきたり、ずっと最初から座っていたりする。

だが、このピッコロの存在が本当に欠かせない。特にコーダの部分ではこのピッコロがあるかないかだけで曲の印象が全く変わってしまう。ピッコロが聴こえてきたら「あ!!ピッコロピッコロ!!」と叫んでしまいたいくらいである。ぜひ注目してほしい。

ツボ③第九で最も音量が小さい部分?

第4楽章。合唱部分。

合唱をやっていたので合唱パートに偏るが、このピアニッシモの部分は是非しっかり聴いてもらいたい。よく合唱指揮者に、「ここは第九の中で1番音の小さいところだから、むしろ体力と神経を尖らせて歌わなければならない」と教え込まれてきた箇所である。この後にもピアニッシモはあるわけだが、それに比べて音域的にも低く、丸で囲った部分の方の音量が必然的に小さくなるはずである。そういった意味でも「最も音量の小さい部分」なわけだが、ここは合唱団の力量が問われる場所でもある。ぜひ聴き比べてみてほしい。

ツボ④数々のフーガ

第九の醍醐味、いや後期ベートーヴェン作品における醍醐味といえば、天才的なフーガの構築であると考える。すでに聴力を失っているはずのベートーヴェンが作曲したフーガは、神がかった芸術性を孕んでいる。

まずは、男声合唱とテノール独唱が終わった後のフーガ。合唱を主とする曲が進行していた中で、突然現れるオーケストラのみのフーガ。これを敢えて挟み込むことで曲全体に痛烈なエッセンスをもたらしている。

次に、先程述べた合唱のピアニッシモ部分が終わった後の、合唱とオーケストラによるフーガ。これが第九における最大のフーガとも言われている。合唱団においては最も技巧的で最大の難関とされる。ソプラノが高いAを出し続ける部分は、かなり酷である。

最後に、独唱4声によるフーガ。複数箇所あるけれども、やはりコーダ前のH durのフーガは格別に美しい。

このように、同じテーマが重奏して繰り返されるフーガを聴きとり、その複層的な音楽を感じ取ることができると、第九の聴き方に深みが増す。

聴くことが楽しい?歌うことが楽しい?

さて、ほんの一部分であるが、個人的な「#ベートーヴェン第九の私のツボ」を紹介してきた。他にも、旧ブライトコプフ版、ベーレンライター版、新ブライトコプフ版の楽譜の違いによる曲の楽しみ方など、さまざまな観点があるので、また別の機会に紹介してみたい。

さて、ここからは個人的な感想になるが、もし外から聴くことが楽しいか、内から歌う方が楽しいか、と聞かれたら、「歌う方が断然楽しい」と即答するだろう。

ザ・シンフォニーホール(大阪)にて。ゲネプロ後に撮影。

満席の観客の中、プロのオーケストラのバックで第九を歌い上げ、コーダの最後の音が打ち鳴らされた後の「ブラヴォー!!」と万雷の拍手が忘れられない。第九を歌えるチャンスはいくらでもある。一生に一度でも良いので経験してみると分かる。山登りで高い山の山頂にたどり着いた時のような達成感がある。

今は、私が所属していた合唱団はもうないけれど、もう一度でいいから歌ってみたいものである。

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