現代の俳句8 〈「書き」つつ「見る」〉 高柳重信

現代の俳句8 〈「書き」つつ「見る」〉 高柳重信

三島広志

 「現代の俳句」を自分なりに眺めてきた。しかしそれらはいずれも俳句に切り込んで断面を白日にさらすという取り組み方ではなかった。そう、上っ面を眺めてきただけなのだ。
 ここに至って自分自身に対して「俳句を書く」という根本的な問いかけを全くして来なかったことに気がついた。
 「藍生」九四年十一月号の「俳句と志ー遊びと人格をからめてー」という拙文のまとめとして次のように書いた。

  俳句を作り続けることは我が生において自分の「志」を見失わないための「意志」の確認とも思える。

 この一見「書くこと」に触れたような文章で実は私が俳句を意志確認の〈道具〉として考えていたことが露呈してしまった。
 拙文には私と俳句の関係が述べられているだけで書く行為自体を問う姿勢は見受けられない。俳句に真剣で対峙しようという姿勢を放棄し、自分にとって都合のよい〈道具〉と見てしまっているのだ。そこから脱出するためには、種々の表現形態の中からどうして敢えて俳句という表現形式を選ばなければならなかったのかと問い続け
ることだろう。

 ところが俳書を参考にしても多くはそこを割愛していきなり「俳句の作り方」と「素材」を述べてある。
 「五七五に収め、季語を用い、写生を基礎とし切れ字と省略が大切。題材は自然・人生・社会など」と。

 また俳論には人生に引き付けて書かれたものも多い。芭蕉の求道的な生き方に影響されたものだろう。例えば森澄雄の発言はそのまま優れた人生論あるいは宗教談ととらえてもあながち間違いではない。

  みなさんの句を見ていると、いつでもそのものがあるように安心して句をつくっている。ものは絶えず動いて、変化しているんです。動いているというよりも死に近づいていっているかもしれない。
「俳意と写生」澄雄俳話百題より

 見事なものであるが、ここにはすぐれた俳人の自然観と心が書かれているだけで、俳句を書く行為自体を追及するものではない。

 このように「方法」や「素材」や「心」については書かれていても根幹をなす問題である「何故俳句を選び、書き続けなければならないのか」という点についてはあまり書かれていないのである。
 以上のことを踏まえて「現代俳句集成別巻二(河出書房新社)」の中の高柳重信「『書き』つつ『見る』行為」という文章を紹介しよう。そこには戦争と結核という厳しい現実に直面した時代に青春を過ごした彼(彼の世代)と俳句との切実な出会いが書いてある。

  何も始まらないうちに、何もかもが終わってしまいそうな環境のなかで、僕たちの世代が、ようやく掴み取った唯一のものが、この俳句だったのである。したがって、その頃の僕たちにとって、俳句というものは、非常に切実な何かであった。

 彼は俳句との出会いがかくも切実だったためか、自らの作品を厳しく批評する。

  そこに生まれてくるのは、書かれるに先立って、もう大部分が決定済みの世界である。言葉に書かれることによって、ただ一度だけ、はじめて出現する世界ではなかった。

 こうした自らの容赦ない批評が向けられたのが処女句集「蕗子」である。

 身をそらす虹の    
 絶巓         
     処刑台


 船焼き捨てし
 船長は

 泳ぐかな

 とそれらの効果を上げるための多行形式を一句ごとに試みるという厳密で血を吐くほどの困難な過程を経て成立した作品群。しかし、なお重信は「決定済みの世界」に過ぎないと言う。

 私が初めて「船長」の句と出会ったときの、一行の空白の衝撃は今でもまだ新鮮に響く。これが「切れ」か!と、身を貫いたのだ。

 秋の田やむかし似合ひし紺絣 山川蝉夫
 亡き友といふ言葉ある柚子湯かな 同

 困難な作業の合間にこうした句も作っていた。これらの俳句は従来の方法に乗って発想と同時に瞬間的に書ききってしまう試みでそのときは山川蝉夫という別号を用いたと言う。

 自らが書く行為自体を厳しく相対化すること、それが俳句を衰退させない唯一の方法なのかもしれない。