現代の俳句3 〈鶴をかかへて〉

現代の俳句3 〈鶴をかかへて〉 長谷川櫂

三島広志

 昭和五十八・九年、わたしは「槇」(平井照敏主宰)に所属していた。三十歳前後のことである。
 会員の中に文・作ともに目覚ましい活躍をしていたほぼ同い年の同人がいた。わたしは彼の俳句や評論をまぶしく仰ぎ見ているのみであったが、ほどなく彼は総合誌においても評論家として活躍を始め、ついには現代の若手を代表する俳句作家の一人と目されるようになったのである。

 彼の名は長谷川櫂(昭和二十九年生)。平井照敏の俳論に惹かれた櫂は十年間師事したのち、飴山實に学ぶ。同人誌「夏至」を大木あまりや、千葉皓史と創刊。解散後結社「古志」を起こした。結社名は処女句集による。

 古志ふかくこし大雪の雪菜粥 (古志)

 古志は越(新潟)の古い当て字だそうだが、平井照敏は「伝統につながりながら、新しい感覚をにおわせて、十七音を一変させてゆく」と意味付けし、櫂に代表される若手を称して「古志派」と命名している。(現代の俳句・講談社学術文庫)

 冬深し柱の中の濤の音 (古志)
 鳥笛は息のなきがら春隣 (古志)

 櫂の俳句は端然として感覚にきらめきがあり言葉が潤っている。決して新しさを表面に出す事なく、恒久なる〈もの〉と〈もの〉との出会いによって句に鮮度を立たしめているようだ。
 たとえ俳句に詠まれた風景や素材が昔からのものであっても、ことばの組み合わせや素材の配合の工夫、何より物事の本質を把握する視座から十分現代に生きる人間の心は表現できる。一見古びた題材ながら、確かに詠んでいるのは今を生きている作者の視点なのだから。

 子の睡りもつとも深し苔の花 (古志)
 表より日のさす冬の葭簀かな (古志)
 旅人と旅人の子の初霞 (天球)
 目を入るるとき痛からん雛の顔 (天球)

 櫂は俳句を〈場〉の文芸とはっきり位置付けている。彼の〈場〉とは眼前にいる人達だけでなく遠く時間を隔てた芭蕉や蕪村、それに先立つ和歌の歴史も含まれている。

 また空間を別つ同時代に生きる人達や未だ出会わぬ遥かな先の人とも交流する。そういった大きな〈場〉を想定しているようである。
 彼にとって俳句とは歴史と距離を「季語」という時空を胎蔵したことばに乗って駆け巡る壮大な通信の器かもしれない。

 春の水とは濡れてゐるみづのこと (古志)
 春の水皺苦茶にして渉りけり (古志)
 みづうみは真水の寒さ舟を出す (天球)
 この家の明りのもるる氷柱かな (天球)

 永遠性のある素材や景色から新しい世界を読み取るためには偏執なまでのこだわりが必要なのだろう。櫂はさまざまなものにこだわる。とりわけ水あるいはその異体としての氷や雨などへのこだわりが句集を満たしている。
 第一句目は櫂の代表作のひとつであるが、この文語表記ながらも口語調の一行を俳句と諾えない人も多いことだろう。内容も当たり前と言えば当たり前だ。しかしかつて、春の水はこのようにことばに表現されたことがあったろうか。まさに水の本質を平易に的確に言い止めた俳句である。「水」と「みづ」の差異に作者の眼目があるに
違いない。
 この句は絶対に水という素材におぶさって書かれた句ではない。この俳句によって春の水に新たな息吹が注がれたのである。

 山口誓子は俳句に新しい素材を取り込むことで俳句の世界を広げたと言われる。それと同時に氏は素材の本質も書き留めようとされた。ところがその亜流は素材の新味にのみ喜びを感じて終わってしまいがちだ。
 櫂は新しい素材を取り込むより、身近な、あるいは言い古されたものの深みを執拗に追いかけている。
 処女句集第二句目に置かれたこの生硬な「濡れてゐるみづ」の句はその表現の硬さゆえにきわどい詩情を確保できたようだ。

 四十歳という年齢で人口に膾炙した句を少なからずものした偉才はこれからいかなる方向に進もうとするのか。彼は人々から現代の俳句の一つの可能性を期待される俳人である。それが長谷川櫂の良き重圧となることを願わずにはいられない。

 夏の闇鶴を抱へてゆくごとく 櫂

 櫂の行く末を暗示するような代表句だが何故か句集には収められていない。