俳句とからだ 176号 すみれ

連載俳句と“からだ” 176

愛知 三島広志
 
すみれ
 すみれの花が舗道の隙間あちこちに咲いている。その生命力には驚きを隠せないが、何故そんなところに棲息しているのか。
その理由をわかり易く描いた『すみれとあり』(矢間芳子著 福音館書店刊)という子ども向けの絵本が読まれている。すみれの種子には蟻の好む物質が付着しており、蟻は種子を巣に運びその付着物だけを摂取した後廃棄する。こうしてすみれの種子は蟻によってあちこちに伝播される。この付着物はエライオソームと呼ばれ、すみれ以外にも多くの植物が分泌して蟻と共生していることがわかった。

 菫咲く連弾のさみしさに似て 
杉山久子

 すみれの語源は「墨入れ」からだと講談社刊『日本大歳時記』に書かれている。小学館刊『日本国語大辞典』にも「和名は『墨入れ』の略で、花の形が墨壺に似ているところから」と記されている。国語辞典編纂者飯間浩明氏によると墨入れ説を周知したのは著名な植物学者牧野富太郎とされている。『牧野日本植物図鑑』(1940)に「和名ハすみいれノ略ニシテ其花形大工ノ用ウル墨壺ニ似タル故云フナリ」とある(高知県立牧野植物園HPに完全掲載)。しかし先行する殿村常久著『千草の根ざし』(1830)などにも書かれているので、牧野はそれを拡散したということだ。
 はたしてこの「墨入れ」説は本当だろうか。万葉集に「春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜宿にける」という山部赤人の歌が掲載されている。万葉仮名では「須美礼」と書かれている。今日知られている墨入れと関わりなくすみれは古代から詠まれていたのだ。

野に伏して菫は頬に冷しと
岡田一実

牧野著『植物知識』(講談社1981)を所持していた。紛失していたが今回Kindleで無料入手できた。その親本である『四季の花と果実』(逓信省)は1941年刊だ。冒頭の一節「花は、率直にいえば生殖器である」が知られている。この本のスミレの項目は長文にも関わらず意外なことに『牧野日本植物図鑑』に書かれた墨入れ説は書かれてはいない。。牧野は万葉の時代からすみれという名前があったのだから江戸時代に作られた今日の大工道具の墨入れとは異なると考えて『植物知識』には書かなかったのではないだろうか。私見だがむしろ江戸の大工が粋で墨入れをスミレの花の形に似せたのではないか。道具に拘る職人の美意識が今の墨入れを作ったとしか思えないのだ。

『植物知識』には冒頭の蟻の生態について詳しく説明されている。蟻の好む付着物は肉阜(カルンクル)と呼ぶそうだ。精密な自然の営みは昔から知られていたのだ。

いずれ皆絶える菫を愛でいたり
赤野四羽