俳句とからだ 168号 なつはづき句集『ぴったりの箱』

連載俳句と“からだ” 168

愛知 三島広志

なつはづき句集『ぴったりの箱』
なつはづきは第36回現代俳句新人賞と第5回摂津幸彦記念賞準賞を受賞した注目の作家だ。後進の指導や主宰する句会を通じて積極的に俳壇と関わっている。

はつなつや肺は小さな森であり
身体から風が離れて秋の蝶

これらの句に代表される身体感覚を精緻に表現する作家として知られている。表記は口語体で俳句の伝統的言語である歴史的仮名遣いとは一線を画している。これは言葉の背負う歴史的な色合いを消すためだろう。

ぴったりの箱が見つかる麦の秋

句集名の由来となった句だ。作者はあとがきで「ぴったりは心地よくもあるし、窮屈でもあります。この矛盾する感覚がとても大事」と書いている。この言葉と句集を通読した印象から「矛盾」が句集のキーワードであると感じた。

タイトルになった箱とは何であろうか。箱は物を収める器だ。比喩的に考えると結界である。外の世界から内部を隔絶する。外部から内部を守る場合もあれば、閉じ込めて自由を束縛する場合もある。それが箱という存在あるいは概念そのものに潜む矛盾だ。

啓蟄や海が空まで溶け出して
菜の花やこの先にある分かれ道

 物質や時間から何かが拡大延長していく。海が結界を越えて空まで溶け出し拡がる。海と空が混然と解け合うところに新しい世界が生まれる。しかし同時に海も空もすでにそれらの性質は失っている。これが矛盾だ。今ここという時空間の先にある分かれ道は拓かれた未来だが、そこには今もここも無くなっている。しかも待っているのは分かれ道という不安な選択だ。これは明るい菜の花に内包される仄暗い矛盾であろうか。ものごとは常にこうして相反する矛盾の中に存在している。

春昼を淡く濁して筆洗う
今日を生き今日のかたちのマスク取る

筆を洗えば水が濁る。こうした質的転換も矛盾の特性である。私達は安定した日々とその中に潜む生々流転の矛盾の中に生きている。今日を生ききったマスクは今日一日の形状を記憶している。如何なる表情をしているのだろうか。明日は今日の延長かそれとも否定か。脱いだマスクとマスクから現れた顔に興味が尽きない。

以下の句にも惹かれた。

やわらかい言葉から病む濃紫陽花
冬いっぽん言葉の端に立てておく
毛糸編む噓つく指はどの指か