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1998 ~ 2024           6

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


あの夜から1か月少し過ぎたころ彼女から連絡があり会う約束をした。
週に2度の個人指導を6週間ほど休んでいた為か電話での会話は少しぎこちなく僕を心配させた。
僕は小さな鉢植えのマリーゴールドを買って彼女に会いに行った。
彼女を久しぶりに見た時、半ズボンとただの白いTシャツとマリーゴールドでなく気取った服装に気取った花にすべきだったと遅い後悔をした。
後で彼女は僕にこのマリーゴールドがすごく嬉しかったと話していた。
あまりにも嬉しそうに話す彼女に僕は花言葉を知っていたと噓をついた。

近況を話したり英語や日本語文法について話したりしながら時間が過ぎた。終始和やかで笑顔が絶えなくそれでいて今まで通りの ”先生と生徒” の距離感は変わらずで僕は視線をどこに置いていいのかわからなくなった。
特別な状況下であったとしても特別な時間を共有したことは事実ではないか。
あの夜のことはなかったことにしようと言われているような気がしていた。
ただ抱きしめて、彼女は僕の胸に泣きはらした両目を押しつけて眠ったことだ。
色々な感情が行き来しながらもいつもと変わらない彼女の静かで優しくて礼儀的な雰囲気に付いてレストランを出た。
僕はこれを ”そういうことなのだ“ と自分に言い聞かせ始めていた。
梅雨の終わりの湿気がアスファルトから跳ね返る熱気は僕の気分をどっぷりと下げ重くした。星のない空を見あげてため息が出そうになった瞬間彼女は珍しく僕の名前を大きく呼んではっとするような距離で僕を見た。
あの夜のことが僕を臆病にしているのか、文化の違いが僕を繊細にしているのか。
もうどうでもいい、言わずには後悔もできない。
君のことが好きだと言った。
飾る余裕もなく格好付けて言えば彼女が正しく理解できない可能性が生じる。これでいい。
彼女はありがとうと続けた。微妙だ。革のカバンと小さな鉢植えを持って歩く彼女の横を僕はまだ考えながら歩いていた。
いつもの個人指導後の駅までの時間は特別だった。彼女を独り占めできる唯一の時間だったからだ。一日の終わり近くになると彼女の髪は朝ほど仕事用でなく前髪がぱらぱらと彼女の目を覆い本当の彼女が垣間見えるようで好きだった。
このタイミングで恐ろしいことに気づいてしまった僕はこの湿気からではない違う汗を感じた。彼女に彼氏がいるかどうかを聞いていなかった。
もう遅い、言ってしまったのだから。
いや、そうじゃない、前向きに考えよう。
さすがの東京はこの時間でも人の行き来が多く本当に眠らない街だ。短い髪ながらも優しい柔らかい印象でカチッとしたパンツスーツであっても女性らしさが半減するどころか全く逆だ。今晩だけでも何人の男性が彼女に目をむけただろうか。気持ちは非常にわかる。
そんな彼女が不自由な恋愛をするだろうか。そして僕自身にその覚悟があるのか。
 
いつものように同じ改札を通り違うホームに向かうと2つ向こうのホームに彼女が見えていた。
まるで連想ゲームのように考えを巡らせていた僕に彼女の気持ちが読めるわけでも聞こえるわけでもない。
誰もいない階段を駆け下りると彼女は僕を見つけた。
かきあげた短い前髪は額を隠すようになっていて違う人のようだった。
夜中の12時までほんの数分だった。
僕は彼女に何かを言う機会を与えずに彼女の髪を触って耳を覆った。何も聞こえなくなった彼女を引き寄せてキスをした。
僕にはこの気持ちを伝える方法が他になかった。
あんなに優しく誰かに触れて、離したくないと思う気持ちが胸にある全ての隙間を閉じてしまったようで苦しくなった。僕は両手を彼女の頬にあてて、額にある前髪をかきあげていつもの彼女を見つけた。恥ずかしそうに顔を上げて僕を見る彼女を見れば
2度目のキス以外に僕にできることがあっただろうか。
2回のキスの後、彼女は僕の彼女になった。

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