見出し画像

1998 ~ 2024           5

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


彼女は試験のための個人指導を希望していて僕は例の彼に推薦され
期限付きではあったけれど彼女の個人指導要員となった。
それは彼女の会社の一階部分にあるカフェですることになって2人きりには程遠いものでそれは長く続いた。試験とは彼女が手に入れたい仕事の為のものであってその熱意は僕も感じていた。なかなかそれ以上にならなかった事に戸惑いながらも、僕の気持ちを伝えることは間違っているようにも感じていた。それでも彼女の目標に向けてそれを続け、僕は思いを募らせていった。

事務的な連絡以外でも電話で話しがきるようになった頃、僕にとっては大きなきっかけとなり、彼女にとっては大きな苦い出来事が起こった。
彼女は僕のアパートから電車で1時間ほど離れた所に住んでいて、ましてや夜間ともなれば不便な距離だった。
彼女のアパートは最寄りの駅から近かったものの決して明るい安全な裏道ではないと彼女から何度か聞いていた。
いつもの事ながら長い時間色々考えを巡らせた後に彼女に電話をすると
彼女らしくない声と後ろからは人の声が騒がしく聞こえた。
泣いたような声で話し始めた彼女は言葉選びに苦戦しているようであったけれど僕は何が起こっているかを正確に理解した。
あまりにも興奮していて何も持たずにガラガラな電車に乗り込んでいた。あの1時間は長かったけれど気持ちを整理するための必要な時間であって彼女の電話の声を思い出し最悪を想定した。気が狂いそうな自分を抑えるように窓際に座り頭を窓につけて冷やした。昼間の暖かさを忘れてしまうような肌寒さを感じながら眠らない外の景色が僕をイライラさせた。
そんな状況で冷静に問題点を巡らせた。
どう声をかけるか。現れた僕を彼女はどう思うのか。
僕が彼女のアパートに着いた時はドアが開いた状態で制服を着た警察官が誰かと話をしていて彼女の姿は見当たらなかった。
階段のあたりで待っていた僕は警察官が降りてきてドアが閉まる音が聞こえたと同時に階段を上りドアを叩いた。
ドアを開けることを迷っている彼女が見えるようだった。
赤い目をしながらも彼女は僕を見て取り乱しもせずに心配をかけてしまったことを詫びて驚いた様子を軽く笑って隠した。
僕は自分の日本語学習の怠惰を悔やんだ。
彼女はバックとコートを持って僕に ”送ります” と小さく言って車のカギを握ると ”ありがとう” と続けてドアを静かに閉めた。
カギをかけないのは彼女の後をつけて中に入ってきた男がカギをもって逃げたからだ。警察は彼女のために泊まるところを用意したらしい。
彼女の車は想像もしなかったタイプなものでスキューバダイビングの物がトランクには散乱していて足元は砂でザラザラしていた。

最寄り駅よりも僕よりの駅に向かって車を走らせると
彼女はこの夜の出来事を一人きりで回送しているようで僕の声は聞こえていな様子だった。こんなパニック状態で外国語が耳に入るわけがない。
青信号になっても走り出さない彼女に声をかけて彼女を見つめると、彼女は僕を見つめ返して心無く寂しく笑った。言葉が通じなくてもわかることがある。無力とはこういうことかと思いながら暗く重い空気の中で自分の存在を消すしかなかった。
僕も一緒にホテルに泊まることに彼女はうなずいた。
僕はここに居て、居ないのだから。
海岸に面したキレイなホテルから黒光りな海を眺めて彼女の気持ちを想像した。
疲れ果てた様子の彼女は広い部屋に一つしかない大きなベットにこの部屋にたった一人でいるかのように横になった。
愛おしいという感情が大きくなってどうしようもなくなった時、彼女を抱きしめるしかなかった。
彼女は僕の気持ちを受け止めたのではないことを僕が一番理解していた。
次の朝、彼女は僕を駅で降ろし、その後しばらく顔を見ることも声を聞くこともなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?