僕の好きなアジア映画52: 無言歌
『無言歌』
2010年/香港・フランス・ベルギー/原題:夾辺溝/109分
監督:ワン・ビン(王兵)
出演:ルウ・イエ、ヤン・ハオユー、シュー・ツェンツー、リャン・レンジュン、チョン・ジェンウー
僕が初めてワン・ビンの映画を観たのは山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された『名前のない男』というドキュメンタリー作品であった。この作品はまさに衝撃的で、1人の男(浮浪者だよなぁ)が荒れた土地の洞穴に暮らしていて、ひたすら食べ物を拾ってきては、くちゃくちゃ音をたてながら食べ、そして眠る。男は言葉を発せす、とにかく汚い。ただそれだけを繰り返す日々を、四季を通してひたすら撮り続けたものだ。この映画がワン・ビンとの出会いで、目が点になったことは言うまでもない。
ワン・ビンはドキュメンタリーを中心とした作家なのだが、しかしこの『無言歌』はフィクションである。文化大革命以前の反右派闘争の時代を描いている。反右派闘争とは、中国共産党は1956年に『百花斉放・百家争鳴』により言論の自由を認め(むしろ推奨)たが、民主派や知識人による共産党批判が激化すると一転それを弾圧し、政治犯「右派分子」として、辺境の収容所に移送し強制労働を課した。共産党のこの極めてご都合主義な方策を「反右派闘争」と言う。
この映画の舞台は、甘粛省の砂漠にある右派闘争による政治犯の収容所である。彼らの多くはこの何もない砂漠で、劣悪な環境での過酷な労働を強いられている。収容されている者の多くが命を落とすが、満足に埋葬すらされることはない。
一人の収容者の妻が、夫を探しにやってくるが、その時すでに夫は亡くなっている。遺骨を探そうとするが、多くの遺体が埋められているため、それは不可能と思われた。この地に残るのは絶望と慟哭だけ。物語の骨格はそれだけだ。
右であれ左であれ、独裁を維持するためには思想の統制が必要不可欠であり、その思想から外れたものを排除しなければならない。この映画が描くのはその理不尽な排除の行為自体の愚かさであり、そこには人間の尊厳など欠けらも存在しない。本来統一されるべきではない、絶対的な思想を中国共産党は人民に強いてきた。全体主義の共産党にとってはそれは悲劇ですらないのだ。しかし思想統制は過去の事象ではなく、現在もそれは続いている。したがってこの映画はいまだに中国では上映されていないという。
民主主義国家であったはずの我が国も、それは今や瀕死の状態で、瀬戸際を迎えていると僕は思っている。願わくば「他山の石」となることを願うばかりだ。
第67回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門で上映
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?