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電動自転車

わたしの父は強度の色盲で車の運転免許が取れなかった。

母が父を車に乗せ、大工であった父と共に朝早くに家を出て仕事に出かけ
父の大工作業の手元や掃除をしながら父と共に働いていた。

そして、学生時代はわたしと弟は両親がいない朝、各々に学校へと家を後にした。

朝の食事は用意してあったのかその辺はわたしには記憶にない。
インスタントラーメンを弟と半分にして食べた記憶が少しあるだけだ。
寂しく静かな朝だったことは事実である。

大工の仕事も弟が後を継ぎ弟と共に仕事に出るようになると母の役割は終わり
毎日車を運転していた経験もあり宅配の仕事をし始めた。

夫婦で仕事をするという窮屈さから解放された母のその仕事は楽しそうであった。
それからしばらくして母が心臓を患ってペースメーカーを体に埋め込んだことを理由に車を手放した。

そんなタイミングの後、父が仕事をリタイヤし相当時間がたってしまっていたが父に電動自転車を贈った。

大工仕事を終えた父は、江戸っ子ではないが「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」を地で行くような暮らしだったので
借金はあれども貯蓄など一切持っていなかった。

生活費の不足は一目瞭然で毎月わたしは実家にそれなりの援助をしていた。

実家への援助の中でも父にとって電動自転車は特別であったのであろう。

全色盲の父にとって、いままで誰かに車に乗せてもらうかバスを使うかであったのだが
自分の好きな時間に自由にどこでも向かえる電動自転車は彼にとっては自分の足となった。

父にとってその電動自転車は今までわたしから買い与えた物で一番うれしかったのではないかと思うくらい喜びが伝わってきた。

電動自転車の登場で父の行動範囲は格段に広がった。

自宅からそれに乗って15㎞も離れた加賀市動橋の友達のところに行ってきたと聞いたときはびっくりしたものだ。

すぐに予備のバッテリーを購入し父に持たせた。

予備のバッテリーを自転車の籠に載せ
安い食材を求めて宅から9㎞もあるショッピングセンター「プラント3」まで自転車で通っていた。
日ごろは駅裏のスーパー「なかお」にも新鮮な魚を買いに出かけて行った。

実家の玄関の前に立つと自転車を玄関庇の下まで運び雨風に当たらぬよう大事に使用していたことが、わたしの記憶の片隅に残っている。

それから何年たっただろうか脳溢血を患って自転車に乗れなくなってしまった。

こんなことならもっと早く買ってあげればよかったと深く後悔した。

車が運転できなかった父には電動自転車はすごくありがたかったのだろう。

両親が亡くなり紆余曲折があり、その自転車も処分することになったときに友達がもらってくれた。

今は、思いで深い自転車を大事に友達が使ってくれている。

ありがたい。ありがたい。

#電動自転車
#全色盲
#父


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