山田宏一と観る林摶秋映画(第二回)

『丈夫的秘密』スチル写真。所蔵:林嘉義、デジタルデータ所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-ND 3.0 TW)。公開:臺灣影視聽數位博物館。

『丈夫的秘密』(1960年)

―― 山田さんは、林摶秋の『丈夫的秘密 The Husband’s Secret(台湾語 DVDタイトル)』(1960年、100分)をご覧になって、どんな印象をもたれましたか?

山田 この作品はDVDでは、もう一つ『錯戀』という題名が付いてますね。これは別題ですか? 副題ですか? あるいは改題ですか?

-- 1960年に製作公開されたときのタイトルが『錯戀』で、『丈夫的秘密』は配給会社の要請で短く編集し直した際のタイトルだそうです(《Fa電影欣賞》第12卷第4期總號第70期、1994)。

山田 『錯戀』の「錯」は錯乱の「錯」ですね?

――そうです。「間違い」「あやまち」の意味です。

山田 『錯戀』とは「間違った恋」、「恋のあやまち」というような意味ですね。日本映画では『踏みはずした春』(鈴木清順監督、1958年)といったところなのかな(笑)。

―― そんな感じですね(笑)。日本初の台湾語映画の特集上映「よみがえる台湾語映画の世界」(2021年10月15日〜17日、国立映画アーカイブ・小ホール)では、この『丈夫的秘密』も『夫の秘密』という日本語タイトルで上映されることになっていて、特集上映の時には日本語字幕が付いた版が上映されるそうですが、今回観ていただいたのは、台湾で発行されたDVDで、日本語字幕のない版です。英語字幕は付いていますが。

『錯戀』新聞広告(『聯合報』1960年4月27日)典藏者:國家電影及視聽文化中心。(CC BY-NC-SA 3.0 TW)。《臺灣影視聽數位博物館》より。
『丈夫的秘密』新聞広告(『民聲日報』1966年2月27日)。収蔵:國家電影及視聽文化中心。(CC BY-NC-SA 3.0 TW)。公開:臺灣影視聽數位博物館。
台湾 国家電影中心発行DVD『丈夫的秘密』カバー

音の映画的記憶

山田 実は、この映画、1回目にDVDを観た時は英語字幕が出ることに気付かずに観てしまったんです。そのせいか、林摶秋の作品を初めて観た印象は、まるでトーキー初期の技術的に素朴な作品みたいでした。それで、仕方なくというか、やむを得ずというか、自然と音声により注意が向いてしまって、1959年作品なのに同時録音撮影でなく、音楽も台詞も雑音(ガヤ)もとってつけたような付け合わせ。録音スタジオも完備してなかったのでしょうね。音楽もレコードを使って、すべて有り合わせのBGMという感じで。

-- 音だけ聞いて、レコードを使っているとわかるんですね?

山田 そんな感じがします。たぶんムーランルージュ新宿座の舞台もかくありなんと(笑)。まず映画のはじまりは高らかにアルフレッド・ハウゼ楽団(かと思われる)のコンチネンタル・タンゴの名曲(ビゼーのオペラ「真珠取り」の序曲をアレンジしたものだったか?)、それからショパンやベートーヴェンの「ピアノ協奏曲」のようなもの(有名なバダジェフスカのピアノ曲「乙女の祈り」が流れてくるところもありますね)、チャップリンの映画『ライムライト』(1952年)のテーマが流れたり、ビッグバンドによるスイング・ジャズやらアメリカ映画『愛の泉』(ジーン・ネグレスコ監督、1954年)のテーマ・ソング(フランク・シナトラが歌って大ヒットした「泉の中の三つの硬貨」)やら古いシャンソンだけれども世界中でヒットしてほとんどスタンダード・ナンバーになっている「Plaisir d’amour(愛の歓び」)やら。戦前のアメリカ映画『邂逅(めぐりあい)』(レオ・マッケリー監督、1939年)ではアイリーン・ダンが歌って、素晴らしかったですね。日本でも歌詞が付いて、いろんな人が歌っているポピュラーなシャンソンで、テレビのコマーシャルなんかにも使われたり。

-- 驚きです! 山田さんがご覧になると、いきなり「音の映画的記憶」が溢れ出してきますね。『ライムライト』は、同じくサイレント時代に活躍した「笑わぬ喜劇王(The Great Stone Face)」(という愛称を最初に知ったのは山田さんの青学での映画の授業を聴講させていただいた時だったと思いますが)バスター・キートンと、淀川長治さんが「映画の神様」と敬愛したチャップリンが初めて共演したという意味でも感動的な作品ですね。古いシャンソン「Plaisir d’amour(愛の歓び)」はムーランルージュ新宿座の匂いがします……。

山田 でしょ。そうですよ、ムーランルージュ的ですよ、間違いなく(笑)。

-- 映画『愛の泉』は大ヒットしたとのことですが、題名からするとラブ・ロマンスですか?

山田 題名通りの女性メロドラマで、ローマのトレヴィの泉に3人の女性が願いをかけてコインを投げ、最後はそれぞれ恋が成就する(笑)。

-- ラブ・ロマンスの王道ですね(笑)。林摶秋は、おそらく、これらの映画や曲を知っていて引用したのでしょうね。

山田 もちろんそうだと思います。シーンにうまくはまっているし……。もし、いま公開されたら音楽の使用権だけでも大変なことになるかと思われるくらい(笑)。何やかやと次から次へと流れてきますね。香港映画も長いあいだ権利を無視して自由にいろんな音楽を使っていた時代に、ジャッキー・チェンがアニメーションの「ピンク・パンサー」の有名なテーマに合わせて女装のクンフー・ダンスをするシーンなんかもありましたね。

-- 『クレージーモンキー 笑拳』(1979年)ですね(笑)。

山田 そうそう。ケッサクでしたね(笑)。林摶秋の『丈夫的秘密』では、そのほか、バックの音楽ではありませんが、宴会のシーンで食卓を囲んだ男たちが手拍子を打ちながら「♪お酒飲むな、酒飲むな、の御意見なれど、ヨイヨイ」と日本でも大ヒットした宴会ソングを歌うところなんか、日本映画と同じで、笑ってしまいました。久保幸江が歌って大ヒットした「ヤットン節」。映画でも映画でなくても、宴会となると男たちは手を打ってこの歌を歌ってましたね。「♪お酒呑むな、酒呑むなの御意見なれど、ヨイヨイ、酒呑みゃ酒呑まずに居られるものですか、ダガね、あなたも酒呑みの身になってみやしゃんせ、ヨイヨイ、ちょっとやそっとの御意見なんぞで酒止められましょか、トコ、ねえさん、酒もってこい」(野村俊夫・作詞/レイモンド 服部・作曲)なんて(笑)。調子がよくて覚えていますよ。『丈夫的秘密』では台湾語で歌っているようでしたが(笑)。

―― あの、手拍子で歌っている場面、日本の歌の台湾語版なんですね! DVDの歌詞字幕を日本語に意訳すれば「酒呑むな、酒呑むな、国は酔わせても酒呑むな。コリャコリャ。酒の仙人ならどうして飲まずにいられよう。真の情なら悩むに及ばぬ。アイヨー。人生は夢の如し、長くはない。寒空に毛皮を着ようが着まいが(関係ない)。キレイなねえちゃん、さっさと酒もって来い」。

山田 同じですね。でも直訳以上に、ずっと気分を出して、いい歌詞になってるなあ(笑)。

――確かに。「真の情なら悩むに及ばぬ」なんてところは、映画のもう一つのタイトル『錯恋』(間違った恋)にひっかけているようにも聞こえますね。

山田 それから、話はよくわからないんですが、なぜか小さな男の子が、小さな男の子といっても、階段を昇り降りするくらい歩けるのに、大人たちがすぐ抱っこするのが妙に気にかかりました。「アイチャン」とかよばれて、みんなが可愛がって、可愛がって、大事にして。すぐ抱っこして(笑)。かなり大柄な子なのに。

-- そのあたりは、ひょっとすると、林摶秋自身がお金持ちの一人息子として祖母や母に甘やかされた(父親は厳しかったらしいのですが)記憶が重なっているのかもしれませんね。

男女の心のゆれを描く出色のシーン

山田 ははあ……なるほどね。それに、母ひとり子ひとりということもあって愛情深く。ヒロインの張美瑤はシングルマザーで、男に逃げられて(笑)、というか、女を妊娠させて責任感に苦しんではいるけれども優柔不断な男で、女はひとりで子供を養っていかなければならない。映画は回想シーンを混じえて展開していくわけですが(言葉がわからなくても、アクションつなぎが巧妙で、現在から過去へ、過去から現在へというつながりや交錯が、映画的な流れとして、たとえば手を上げるカットから同じように手を上げるカットにつながるとか、単純ながらテンポがよくて、わかりやすいんですね)、過去の「あやまち」を描くシーンは特にすばらしいと思いました。

――あのシーン、すばらしいですね。

山田 雑音(ガヤ)もほとんど入っていませんが、ときどきドアのあけしめや階段を昇り降りする足音がひそやかに聞こえる程度。ヒロインの張美瑤と男(張潘陽)が部屋のなかで、思わず抱き合って、罪深い関係になってしまうという濡れ場ですね。女はそんな罪深い自分を悔いて、泣くんですね。そして隣の部屋へ逃げるように入る。そこは庭に面していて、キャメラは突然、切り返して、そのシーンを外の庭からロングでとらえる。庭には背の高い、あじさいのような大きな花か樹木が植わっていて、庭木ごしに部屋の中の二人をとらえる。それも窓枠がフレームのようになって、部屋の二人が見えつ隠れつするんですね。雨がはげしく降って嵐のようになり、その音がとても効果的なんですね。室内には何があるのか、見えない。両側の雨戸が狭くせまって余計なものを見せずに緊迫した構図をつくって出色でしたね。

-- おっしゃるとおりですね! いま、山田さんに言われて思い出しましたが、室内も畳の縁や障子の桟といった直線が透視図法のような背景効果になっていて。それもあってか、女と男にぎゅっと焦点が集まって、非常に緊迫感があって……。

山田 そうなんですね。ここが一番マキノ正博(雅弘)的で、その影響かどうかはともかく、見事な映画的テクニックの勝利、巧妙な映画術だと思いました。キャメラは庭木ごしに、のぞくような感じで、あえてズームで近寄ったりせず、それも窓枠で空間を狭めて、室内の二人の動きをロングでとらえながら、女と男の心のゆれ、情念、心理をクローズアップする。

――見事な場面ですね。

山田 さりげなく素晴らしい。たぶん溝口健二や小津安二郎や黒澤明のような真の(というか、完全主義者で本物志向の)巨匠は室内の見えない所もきちんとセットに作るでしょうね。床の間の壁には書画が掛かっていて、床板には花びんとか置物が飾られていて、とかいった具合に。キャメラにうつらなくても本物のセットを作る。マキノ監督はそんな見えない裏のセットは作らない。余計なものに金を使わない。見えるものだけで間に合わせる(笑)。完全主義者で本物志向の真の巨匠とは正反対の間に合わせの巨匠なんですね。それが手抜きの名人のようにみなされてきたけれども、マキノさんにとっては映画は「らしさ」の表現であり、本物でなくても本物らしく見せるのが映画的なんだということだったんですね。そういう、一見安手だけれども、金をかければいい映画ができるというものではないという、ある種のごまかしのテクニック(笑)というか、それらしく見せるフェイクの奥儀、まやかしの極意のようなものを、もしかしたら林摶秋もマキノ流に(笑)学び取ったのかもしれませんね。立木の使い方とか窓枠の効果なんかね。

―― 映画は「らしさ」の表現! グッとくる奥儀ですね。無い無い尽くしの台湾語映画にとってマキノ流の「間に合わせ」のテクニックは必要不可欠だったと思います。


竹田敏彦の原作『涙の責任』

―― この映画の原作は竹田敏彦(1891-1961年)の『涙の責任』(1939年)ですが、日本でも1940年に蛭川伊勢夫監督、川崎弘子主演で映画化されたようですね。

山田 川崎弘子がヒロインなら松竹映画ですね。川崎弘子、観たかったですね。でも、そのへんの戦時中の日本映画は、私はまだ生まれたばかりで(笑)観ていませんが……。

――そうですよね(笑)。つい山田さんは何でもご覧になっているような気になってしまいますが(笑)。

山田 ただ、送っていただいた原作のコピーを見たら、巻末の出版社の刊行リストのなかに川口松太郎の『蛇姫様』(上下巻)もありましたね。衣笠貞之助がやはり1940年に正続編2部作で映画化した大ヒット作。私は戦後の総集編、つまり正続編を一本にまとめた短縮版しか観ていませんが、それでも大傑作でした。戦後も二度か三度リメークされています。川口松太郎はどの小説もほとんど映画化されたベストセラー作家で、母もの映画のヒロインを演じた女優の三益愛子と結婚して大映の重役になった小説家です。映画化された原作の小説がシリーズとして出版されていたんでしょうね。いまでいうと徳間書店の大衆小説文庫のような感じなのかな。竹田敏彦の『涙の責任』も映画化のための小説だったのでしょう。

――巻末の刊行リストに着目されるところがさすがですね。

山田 ついでに手元の『新潮 日本文学小辞典』(1968年)を調べたら、竹田敏彦(1891-1961年)は「劇作家、小説家。本名 敏太郎 早大英文科卒。新聞記者から新国劇に入り、文芸部長、顧問。劇作多く、小説も書く。後年は大衆文芸に投じた。編著『沢田正太郎舞台の面影』(昭和4年刊)や金光教信者としての『神が生れる話』(昭和32刊)などのほか、多数の通俗小説がある。「竹田敏彦長編小説選集」全4巻(昭和27年、向日書館汗)」と紹介されています。ひょっとしたら、ムーランルージュ新宿座で脚本の仕事なんかもしていたのかもしれませんね。

――なるほど、大衆受けする劇作を得意とするということで、展開が早いのかもしれません。『涙の責任』は、これでもか、これでもかと悲劇が連続するので、映画というよりは、いま流行りの韓国ドラマに向いた展開のように感じます。日本の蛭川監督版もデータベース情報では前後編ありますし、林摶秋の映画のラストも、原作でいうと中盤あたりで終わっています。

山田 林摶秋の『丈夫的秘密』も前後篇で作られてもいいほど話が二転三転して……。その流転のきっかけがメロドラマでは、映画だけでなく、小説でも、だいたい、結婚前の「あやまち」、男に犯されたりして妊娠してしまうのが不幸のはじまりみたいな話が多いんですね。

「母もの映画」の系譜

-- 当時に特有のパターンなんでしょうか? 欧米の映画でも? 中国大陸ではシングルマザーを題材に、サイレント映画時代の伝説の名女優・阮玲玉が主演した『神女』(呉永剛監督、1934年)という傑作がありますが、戦前の欧米映画で「母もの」というと『ステラ・ダラス』(1937年)くらいしか思い出せません。この『丈夫的秘密』でも、貧しいシングル・マザー(張美瑤)と、かつての同級生で友人でもある裕福な妻(吳麗芬)の間に、『ステラ・ダラス』の二人の母の間にみられたような思いやりというか、女同士の友情のような感じが描かれていますよね。しかも、妻(吳麗芬)は、夫やヒロインのように鬱々とし続けるわけではなくて、あるところから決然と前を向き始めるというところが印象的ですね。中国ではこれまた阮玲玉主演の『新女性』(蔡楚生監督、1935年)に、追い詰められたヒロインを支える女友だちが登場しますが、イデオロギー的といいますか、「労働者階級の連帯」的なニュアンスがあります。その点、『丈夫的秘密』は(戒厳令下で政治的要素はご法度ということもあったのでしょうが)三角関係が主軸のメロドラマです。ドラマを盛り上げるためには、現代の韓国ドラマ風に(?)ヒロインをもっといじめるといった意地悪な妻という設定にすることもあり得たと思うんですけど。このあたりは原作に忠実みたいで……。小説『涙の責任』の冒頭は、かつての同級生たちが文楽の『心中天網島』を観に行って、おさん(妻)と小春について議論を交わす場面や、『ステラ・ダラス』と思しき映画のパンフレットが小道具に出てきます。

『丈夫的秘密』スチル写真。所蔵:林嘉義、デジタルデータ所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-ND 3.0 TW)、公開:臺灣影視聽數位博物館。


山田 『ステラ・ダラス』は母もの映画の原典ですからね。ただ、私が知っている日本の母もの映画は戦後、三益愛子主演で大ヒットした一連の、たしか30本記念映画というのがあったくらいですから、一大ブームになったシリーズで、そのきっかけになった最初のヒット作『山猫令嬢』(森一生監督、1948年)は題名からまさか母ものとは想像できず(笑)、山猫と令嬢がちぐはぐで何だろうと思って偶然観たのですが、話はともかく、令嬢役の三篠美紀が美しく愛らしかったのでよかったけど、流行になった母ものは苦手で(笑)、ほとんど観ていません。新派悲劇のヒット作の映画化で、水戸光子が生みの母、入江たか子が義理の母、三益愛子が育ての母を演じて、三大スター競演の『母三人』(小石栄一監督、1949年)という大作もあって、その惹句も「三倍泣かせます」(笑)。惹句だけ覚えてますが……。

――ラーメンの「特盛」とか、カレーの「辛さ10倍」みたいな(笑)。

山田 そんな感じですよね。三倍泣かされてもねえ(笑)。それでなくても、母性愛とか、お母さんとか、ちょっと恥ずかしいでしょう(笑)。でも、戦前には『ステラ・ダラス』を模範にした日本映画があったようです。母と娘の物語、自分は不幸になっても娘の幸福だけは絶対に守り抜くという母性愛映画ですね。ハリウッドの母もの映画の定番(何度も映画化されている)『ステラ・ダラス』のなかで群を抜いて素晴らしいのは、私にとってはバーバラ・スタンウィックがヒロインを演じた『ステラ・ダラス』(キング・ヴィダー監督、1937年)。あばずれで悪女を演じたら最高の女優、バーバラ・スタンウィックの母性愛には泣かされましたね(笑)。それにもまして、涙、涙、涙の傑作はポーラ・ネグリがハリウッドからヨーロッパに戻って(たしかポーランド生まれでサイレント時代のドイツのエルンスト・ルビッチ監督の作品で情熱的でエロチックなヒロインを演じてハリウッドに招かれた官能的な女優でした。急死した世紀の美男スター、ヴァレンチノの婚約者でしたね)、ドイツ映画『マヅルカ』(ヴィリ・フォルスト監督、1935年)で演じた母性愛には感動のあまり、こらえきれずに声を出して泣いてしまいました。恥ずかしかったけど(笑)。

――母もの映画が苦手な山田さんを「三倍泣かせた」わけですね(笑)。

山田 三倍以上でしたね(笑)。どうしてもまた観たくて、最近やっと『マヅルカ』のDVDを入手しました。『ステラ・ダラス』のバーバラ・スタンウィック、『マヅルカ』のポーラ・ネグリに次いで素晴らしかった母もの映画のスターは『神女』の阮玲玉でしょうね。

――素晴らしいですよね!

山田 東京のフィルムセンターで催された「中国映画祭」で観ただけですが……。ずっと国民服(というのかしらん?)を着て地味な貧しい労働者を演じていたから『新女性』のほうだったかな。どちらもさっそうとして美しく、母として女として素晴らしくて、力強くて印象的でしたね。めそめそ泣くシーンなどなかったような気がします。

――わかります。与太者相手に、テーブルに腰掛けてタバコを片手に強がってみせる。その意気地が痛々しくも美しい。

山田 美しかったですね、女そのものでしたよね。もちろん、悪女ではないんですけどね。映画では、悪女は妊娠しない。男たちをたぶらかし、狂わせ、破滅させるだけ(笑)。でも、無知や無軌道で「あやまち」の妊娠をしてしまってシングルマザーになるヒロインの場合は、子供は愛の結晶なんですね。『ステラ・ダラス』も、ふしだらな女から子供(娘)への愛に生きる母親に変身する。女は妊娠して子供を産んで、シングルマザーになるところが弱点というのも変だけど、不幸のはじまりになる。ドラマはそこから始まる。

『丈夫的秘密』スチル写真。所蔵:林嘉義、デジタルデータ所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-ND 3.0 TW)、公開:臺灣影視聽數位博物館。

――『丈夫的秘密』では、それが二度も起きる。

山田 で、二倍泣かせるというより、ヒロインが二倍泣くことになる(笑)。『丈夫的秘密』は原作が日本の小説ということもあるのでしょうが、『ステラ・ダラス』よりも日本的な母もの映画の感じが強いと思いました。ヒロインの張美瑤は肉体的存在感があって(肉感的という感じだし、美しい)、日本的ではないんですが、めそめそ泣いてばかりいるんですね(笑)。ただ、男(張潘陽)のほうが悪いというわけじゃなくて、つまり「秘密」にぐじゃぐじゃこだわって、なんだか頼りない夫で。題名の「丈夫的秘密」の「丈夫」は特に意味があるものやら…。

-- この映画の場合、夫が「秘密」にぐじゃぐじゃこだわる(笑)のは、妻の親戚に気を遣う入婿という設定も関係しているかもしれませんね。中国語の「丈夫」には「男子、男らしさ、ますらお」の意味がありますが、日常的に「夫」の意味で使用されます。でも、この映画では、いわゆる「男らしさ」はまったくない。というか、これがそもそも「男らしさ」なのかもしれませんが(笑)。そういえば、チョウ・ユンファ主演の傑作コメディに『大丈夫日記』(1988)というのがありました! こちらは、湿っぽいところが微塵もない、チョウ・ユンファが美女二人(サリー・イップとジョイ・ウォン)を妻にもつ(一人はアメリカで婚姻届、一人はフランスで婚姻届を出す)という夢のように馬鹿馬鹿しくも楽しい三角関係の映画でしたね。監督は李翰祥、胡金銓、張徹とともに「四大帥」と並び称された楚原で。

山田 チョウ・ユンファみたいな恰幅の良い男前は林摶秋の『丈夫的秘密』には出てきませんね(笑)。日本語でも、かつては男らしい男を益荒男、大夫、丈夫とか書いて「ますらお」なんて表現したこともあったと思うのですが、『大丈夫日記』のチョウ・ユンファなら、サリー・イップとジョイ・ウォンという美女二人を相手に見事な「ますらお」ぶり「大(・)丈夫」ぶりを発揮してみせたことだろうと思います。たとえコミカルなダメ男でもユーモラスに堂々たるダメ男を演じたのでは?

-- まさに、堂々たるダメ男ぶりでした!チョウ・ユンファくらいの役者でないと、あんな三角関係のハッピーエンドはありえませんね。 それにしても、林摶秋の映画を1回目は英語字幕なしで、ご覧いただいたからこそ、これだけ音に関するお話が聞けたというわけで、災い転じて何とやら、ですね(笑)。

山田 音楽については、三澤さんが編集された『植民地期台湾の映画』(東京大学出版会、2017年)で『南進台湾』という日本統治下の国策映画の背景音楽を分析した劉麟玉という人がいますね。その人の研究のようなものがすでに(もしかしたら石婉舜さんによって?)おこなわれているのではないでしょうか。

-- 知る限りでは、ここまで詳細に『丈夫的秘密』の音について語られたものはないと思います。

張美瑤の存在感

山田 詳細なんてほどのものでなく、ただちょっと気にかかっただけなんです。それと、あとから、『丈夫的秘密』を英語と漢字(中国語)の字幕であらためて観て、さりげないけれども、ヒロインの張美瑤の魅力をきわだたせるかのようにシュミーズ姿で苦しむところとか、仕事を探してどしゃ降りの雨のなかをみじめにさまようところとか、よくあるシーンながら、彼女の肉体的な存在感ゆえに印象に残ります。売り出し中の女優だったんでしょうね。

張美瑤 ブロマイド。所蔵:國家電影及視聽文化中心、デジタルデータ所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-ND 3.0 TW)、公開:臺灣影視聽數位博物館。

――張美瑤の存在感! それは新たな発見ですね。張美瑤は林摶秋が作った俳優学校で育って、実際に、このあと本当に大スターになり、「寶島玉女」つまり「宝島=台湾」の美女というキャッチフレーズで、日本の東宝でもヒロインを演じた作品を撮っていますから。私は観ていないのですが、資料によれば、福田純監督の『香港の白い薔薇』(1965年)、千葉泰樹監督の『バンコックの夜』(1966年)に出演しているようです。林摶秋の売り出し大成功ということですね(今回、『丈夫的秘密』が国立アーカイブ小ホールで10月16日に上映された翌日から、『バンコックの夜』はラピュタ阿佐ヶ谷にて10月17-19日に上映予定だそうです)。

山田 東宝が國泰(キャセイ)と提携製作した香港三部作(『香港の夜』1961年、『香港の星』1962年、『ホノルル・東京・香港』1963年)みたいな感じですね(笑)。私はまだ大学に通っている頃で、ちょっとそのへんの甘っちょろいメロドラマ(などとないがしろにしたわけではないんですが)よりももっとたくさん観るものがあって、弁解がましくなりますが、1960年代に入ると、本当に観たい映画、観るべき映画がたくさんあって、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)が押し寄せてきて、ジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)とかクロード・シャブロルの『二重の鍵』(1959年)とか、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959年)とか。

――山田さんとヌーヴェル・ヴァーグの運命的な出会いの時期だった(笑)。

山田 そればかりか、日本映画は絶頂期で、たとえば林摶秋の映画のタッチに最も近いように思われる井上梅次は『死の十字路』(1956年)や『夜の牙』(1958年)に次いで『第六の容疑者』(1960年)を撮っていますね。林摶秋が1965年にリメークと言っていいと思いますが、同じ南條範夫の原作(小説)の映画化『六個嫌疑犯(邦題:第6の容疑者)』(1965年)を撮っていますね。

――ああ、なるほど! 林摶秋は、井上梅次の映画を観てリメークしたのかもしれないわけですね。

山田 たぶん、観ていたのでは。ともかく、その頃は日本映画の絶頂期ですからね。森一生は『薄桜記』(1959年)に次いで『不知火検校』(1960年)を撮っているし。川島雄三は『幕末太陽傳』(1957年)、『貸し間あり』(1959年)に次いで、『人も歩けば』(1960年)、『縞の背広の親分衆』(1961年)を撮っている。岡本喜八は『愚連隊西へ』(1960年)、『顔役暁に死す』(1961年)、『戦国野郎』(1962年)と絶好調。増村保造は『妻は告白する』(1961年)で若尾文子を永遠のヒロインに。若尾文子は川島雄三の『しとやかな獣』(1962年)のヒロインも吉村公三郎の『越前竹人形』(1963年)のヒロインも官能的に演じて忘れがたい。

――観てない作品のほうが多くて、ちょっと追いつけない感じです(笑)。貧弱な映画経験しかありませんが、増村保造作品の若尾文子の圧倒的な存在感とか、『幕末太陽傳』のはち切れんばかりのエネルギーとか、確かに忘れがたいですね。

山田 ベテランの大監督たちも力強く忘れがたい作品を撮っています。黒澤明は『隠し砦の三悪人』(1958年)、『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1963年)と日本の時代劇の歴史を変える娯楽大作を発表、サイレント時代からの時代劇の巨匠、伊藤大輔も中村錦之助を第二の阪妻(阪東妻三郎)に仕立て、古典的な本格時代劇の大作『反逆児』(1961年)を撮った。たぶん伊藤大輔の薫陶を受け、きんきん声の錦ちゃんから萬屋錦之介になって腹の底からしぼり出すうなり声のようなセリフ回しが生まれてくる(笑)。「剛」の黒澤明に対して「軟」とみなされた木下恵介は『楢山節考』(1958年)に次いで、『春の夢』(1960年)、『今年の恋』(1962年)を撮る。小津安二郎は『東京暮色』(1957年)に次いで『浮草』(1959年)、『小早川家の秋』(1961年)。稲垣浩は『野盗風の中を走る』(1961年)で若々しい息吹きを感じさせたし、市川崑はすでに1950年代に『夏目漱石のこころ』(1955年)、『東北の神武たち』(1957年)、『炎上』(1958年)を撮って注目されていて、『おとうと』(1960年)や『黒い十人の女』(1961年)でさらに注目され、日本のヌーヴェル・ヴァーグ世代、大島渚の『太陽の墓場』(1960年)、篠田正浩の『乾いた湖』(1960年)今村昌平の『豚と軍艦』(1961年)、羽仁進の『不良少年』(1961年)、吉田喜重の『秋津温泉』(1962年)……とキリがない(笑)。

――いや、本当に。一息におっしゃるのを聞いているだけで、キリがない、っていうのがわかります(笑)。

山田 私は貧乏学生だったので、ほとんど二番館、三番館の二本立て、三本立てで観たものばかりなんですけれども、学期末の試験のあとなど、黒澤明の『天国と地獄』(1963年)なんかは封切館で観てね、ぜいたくな気分を楽しんだ記憶があります。名画座では池袋の人生坐などで溝口健二の特集をやっていたし、銀座の並木座では成瀬巳喜男の特集をしょっちゅうやっていた。『おかあさん』(1952年)という名作が、その題名からして最初のうち私にはなかなか馴染めなくて(笑)、というのも、田中絹代のおかあさんより、おとうさんを演じる三島雅夫という新劇の俳優がくさい、くさい芝居をするので、私はものすごく苦手で、何度も観に行ってはがまんできずに途中で出てしまってね。ずっと後になって、成瀬巳喜男ファンの友人に「あと5、6分がまんすれば、おとうさんは死ぬんだ」と言われて、それからじっくり最後まで観て、やっと大好きな映画になって(笑)、特に加東大介が洗濯屋のお手伝いのおじさんになってから、俄然面白くなる。というようなわけで、といっても、大した弁解にも理由にもなりませんが(笑)、張美瑤の出た日本映画はまったく観ていないんです。

――しかし逆に、いま山田さんが息つく間もなく列挙されたキラ星のような作品が日本でもフランスでも、そしてアメリカでも立て続けに生み出されていた、映画絶頂期の時代の空気が、林摶秋や張美瑤たちにも共有されていたんだろうなということが、非常に具体的に想像できました。

山田 いや、お恥ずかしいです(笑)。ただ、覚えているのは、尤敏(ユー・ミン)という可愛い香港の女優のほうが人気があったことですね。名前だけで、映画は観ていないのですが……。張美瑤は台湾女優だからということでなく、尤敏のような当時の日本人好みの可愛い女の子という感じではなかったからかもしれませんが、尤敏ほどの人気は出なかったように思います。いずれにせよ、私としては、張美瑤は今回DVDで観た林摶秋の『丈夫的秘密』ではじめて出遭ったので、多少感想めいたことを述べさせていただいたものの、生意気なことは言えません。林摶秋監督で張美瑤をヒロインにした作品をもっと観たかったですね。悪女ものなんかも、ひょっとしたらあったかもしれない、なんて妄想したりして(笑)。
(第三回に続く)

構成:三澤真美恵、監修:山田宏一

イラスト:英 恵

山田宏一(やまだ こういち)プロフィール:1938年、ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業。映画評論家。『トリュフォー ある映画的人生』(平凡社ライブラリー 2002)、『美女と犯罪―― 映画的なあまりに映画的な』増補版(ワイズ出版、2001)、『映画的な、あまりに映画的な――日本映画について私が学んだ二、三の事柄(Ⅰ・Ⅱ)』(ワイズ出版、2015)『ヒッチコック 映画読本』(平凡社、2016)、『ハワード・ホークス 映画読本』(国書刊行会、2016)など、著書多数。

* 本研究はJSPS科研費 JP20K12330の助成を受けた成果の一部である。


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