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コミュニケーションが苦手、を解像度を下げずに記述する

「コミュニケーションに苦手意識がある」

 と私が言ったら、もしかしたら一部の人は「えー!」と思うかもしれない。たとえば梟文庫で私が直接お出会いしている方々は、「そうは見えない」と仰ってくださるんじゃないかなぁと勝手に思ったりする。自分で言うのもなんだけど、基本的には人当たりがよく、誰とでも分け隔てなくお話できるほうであるとは思う。梟文庫にいらして下さる方とお話することは楽しいし、負担に思ったことは一度もない。

 それにもかかわらず私は「コミュニケーションが苦手だ」と思っている。なんで?って、「コミュニケーション」って雑に一括りにしているからそんなことが起こるわけで、「コミュニケーション」には多様な様態やシチュエーションがあるのだ。そして私が「苦手だ」と感じるのは梟文庫でかわされるようなコミュニケーションではなく、

「よく知らない人と、目的や意図が共有されないまま話す」

 という状況でのコミュニケーション(あぁ地獄)である。これも非常に雑にくくってしまうと「雑談」みたいなものになるんだけど、別にすでにお友だちになっている人との雑談を地獄になんか思わないし、雑談全てが苦手なわけではない。だから「雑談」なるものも、もうちょっと解像度をあげていかないとまるっきり私の「苦手さ」が伝わらない気がする。

 じゃあ具体的にどんな場面が苦しいのかというと、あぁこんなこと言ってしまうと角が立ちそうで怖いんだが、たとえば「同じ年(ごろ)の子どもがいるっていうだけのつながりの人と一定時間お話しないといけない」みたいな状況なんですよね・・・これもまた繰り返しになるが「ママ友との会話が苦手」と雑にくくってしまうと途端に現実との乖離が起こってしまう。私にもものすごく大事なママ友さんたちがたくさんいるし、全てのママ友さんとのおつきあいが苦しいわけでは決してない。だからとにかく「同じ年の子どもがいるっていうだけのつながりの人と一定時間お話しないといけない」状況について、これ以上一般化したり解像度を下げたりせずにお話を進めていく。

 たとえば保護者会でもPTAでも何でもいいのだけど、そこで出会った方たちとお話する、なんていう機会は山のようにある。私はたいていそういう場所では何を話していいのか分からずフリーズしているし、正直お話されている内容が分からないなんてこともザラにある。穏やかな様子でニコニコと相槌を打っているだけのことも多いから、「控えめで人柄のいい人」に思われているかもしれないが、それは単に「その場にいる」ための処世術を展開しているにすぎない。嵐が過ぎ去るのをただひたすら受動的に待つだけの小動物みたいな気分である。

 ここで一体何が起こっているのか。それこそめちゃくちゃ角が立ちそうなんだけど、(おそらく)事実である3ステップををぶっちゃけたいと思う。

①他人に興味がないから、無理して仲良くなろうと思えない。(ここが一番角が立つ)
②基本的に興味が限定されているので、共通の話題が見つからない。
③文脈がなく、ロジカルではない話を耳からの情報だけで処理しにくいので、会話についていけない。

 まず①ね、ひどいですよね、改めて言葉にしちゃうと。私に輪をかけて他人に興味がないオット氏のことを、私は「冷たい!冷たい!」としょっちゅう非難をしているのだけれども、私もまぁたいがいなんですよね・・・噂話みたいなこともほとんどしないが、それは品位を保つためにそう心掛けているとか、ましてや人柄なんかではなくて、ただ単に興味が全くないだけ。・・・いやほんとになんか人でなしみたいな感じがしてきたけれど、もちろん全ての人に対して興味がないっていうわけではなくて、興味を持てる人にしか関心を向けられないっていう感じに近い。つまり色んな人のことを(浅く広く)知りたいという欲が、全くないんだろうなぁと思う。

 この傾向はもちろん「人」だけではなくて「話題」にもみられて(②ですね)、なかなかこう初めて出会う人やよく知らない人とお話するのに向いた話題にもあんまり興味がなくて知らないことも多い。「すごく流行ってる(た)よ。何で知らないの?」と直接的に言われることも度々あるくらいだから、まぁ私はとにかく興味が限定的で、ものをよく知らないんだと思う。テレビもほとんど観ないし、今世間で流行っていたり話題になっていることもあんまり知らない。「子ども」という共通項があるから子どもの話をしたらいいのだと思うけれど、正直私は子どもをネタにするような話題が好きじゃないし、自分が直接関わっているわけじゃない子どもの話にも興味が持てない。そんなんで初対面の人と何話したらいいかなんて、お天気くらいしか思いつかないでしょ?だからまぁ「何か話さないといけない」状態になることを思うと憂鬱になるし(年を重ねて憂鬱よりは面倒くさいと思う図太さがでてきているが)、話さずにニコニコ話を聞いているほうが楽だったりする。

 そして③だけど実はワタクシ、耳からの情報処理が恐ろしく苦手で、自分がよく知らない話題は「マジで何言ってるのか分からない」状況に陥る。1年くらい前だったか、田中ビネーという心理検査のテスターをしたのだけれども、「ひとまとまりのお話を聞いて(メモ禁止)、あとから内容に関する質問に答える」という課題が、まったく、まっっったく、できなかった。もうこれはですね、テストしてくれた人もドン引きレベルだったと思うんだけど、自分でもあまりのできなさに衝撃を受けた。誰それがどこへ行き何をした、みたいな話だったと記憶しているのだが、その中で起こる細かいことについて質問されるんだけれども・・・「えっ、そんなことお話の中にありましたっけ?」「えっ、そんなこと言ってましたっけ?」って頭を抱える羽目になり、頭まっしろ・・・耳からの情報処理は苦手だなって自覚は確かにあったけど、「ここまでとは!!」ってショックを受けた。だって全然難しい話じゃないのに。「どんなお話だった?」とざっくり聞かれたら、ざっくり「え、なんか誰かが誰かに会いにいく話」って答えられるのに、細かいことは何一つ分かんないってすごすぎない?「ドラえもん描いて」って言われて、似て非なるものしか描けない感じにものすごく近い。

 とにかく(今の)自分とは無関係なお話が突然ふってわいてきて、それを耳から聞いて理解するって私にはものすごく難しいことなのである。よく知らない人との雑談も結局そういうことが起こってるわけで、脈絡なく生まれる、自分がよく知らない・興味のない話題を、耳から聞いて理解するのはそれだけでものすごくストレスフルなのだと思う。そこに「理解した上でテンポよく答える」なんて作業が加わったら、メモリ不足を起こしてフリーズしてしまうわけですよ・・・まずよく知らない人と話すって情報量が足りな過ぎる感じがしていて、どんな人か知らないからどんな話題が出てくるかも分からない、それがどう展開するのかも分からない、という予測不能性が、さらに私を固まらせてしまうのだと思う。それに大体こういうシチュエーションでの会話ってロジカルに展開していかないから、ぽんぽんと出てくる言葉と文章を整理しないといけなくて、この作業によって会話のスピードにもついていけない感じがしているんだよなぁ・・・

 というわけで、よく知らない人と仲良くなるための会話っていうのは、そもそも興味のないことに過重な負担を強いられる行為になってしまうのでキライです。年をとったからそうぶっちゃけられるけど、学校(教室)ってそういうコミュニケーション「しか」ない場所だったりするから、なんかほんとにつらいなぁって思う。そんな中で「これからの時代はコミュニケーション力だ!」みたいに煽られて、つながりを強いられる傾向も散見されるので、そんな地獄みをてんこ盛りにしないでくれと思ってしまうよね・・・

 だって(いわゆる)社会に出たら、仲良くなることが最大の目的っていうコミュニケーションが求められることのほうが特殊ですよね?仕事をしたら共通のミッションがあって、そのために協働することになる。もっと目的や意図がはっきりしたコミュニケーション力が求められるわけで、たまたま同じ年、同じ地域に生まれた子どもたちが一か所に集められた学校(教室)という閉じた空間の中でうまいことやっていく力とはまた別ものである。それなのに「コミュニケーション力」と一括りにして、やれコミュ障だ、空気読めないヤツだとか一方的にジャッジするなんて、「井の中の蛙ですね」しかない。でもそうやって強気に言えるのは私がもうその場にいないからであって、今そこで一方的にジャッジされている子どもたち、あからさまに蔑まれなくても周囲の眼差しから「コミュ障」と自己評価している子どもたちにとっても、死活問題になってしまっているのだと思う。だから学校の構造的な問題として、早く手を打ってもらいたいと願っている。

 ・・・と突然プリプリ怒りだしたのは、今大学の課題で「ネットいじめ」をテーマにレポートを書いているので、今の子どもたちが学校(教室)でつながりを煽られた結果、どれほどひどい、つらいことになっているのかを知ったからである。コミュニケーション以前に、子どもたちが過ごす場所を丁寧に整え、子ども同士もそうだが子どもと大人、大人同士の関係がケアされ、民主的な場になっていかないと、いかんともしがたいなと改めて感じている。そのうえで、多様なコミュニケーションのあり方、もち方が尊重される、そんな社会を「学校から」作っていって欲しいと願わずにいられない。

追記
全然関係ないですけど、写真は子どもさんのお預かりすきまやで作ってみた、ポンポン分子模型。大きさはいい加減ですみませんが、何の分子か分かりますか~?ヒント:左は水素分子で、色は統一しています。

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