漢字テストにメラっとする。家計簿つけは飽きる。
新年が明けて初めて登校した日、漢字テストを受けてきたとムスメ氏。
「何にも勉強していかなくても、半分とれた!」とお喜びのご報告。思わず「半分だけ!?」と言ってしまったんだけど、「えー何にもしていかなくても半分できたのにー。」と全く意に介さないご様子なの、さすが万年ほがらかーさん・・・ちなみにその後帰宅したおとーさんにも、「何にも勉強していかなくても(以下略)」と同じご報告を自らしていたんだけれども、もちろんおとーさんは「半分もできたの、大したもんだ!」と盛大に褒めちぎるもんで、「でしょー?なのにこの人(おかーさん)は・・・」とわたくし完全にワルモノにされましたですよね。はい。
いやでも、つい「テストではよい点数をとるべき」という思考が自動的に立ち上がってきちゃうの、反省しないといけないよな、と思った。そういう競争原理based学習観が子どもたちをたたきのめしていることに批判の声をあげているのに、自分もそこから抜け切れていないのだもの。
とイイこと考えているふうでいるそのすぐあとに、「わしがそのテストにチャレンジする!」と競争心むき出しで問題解いてるってどうなん・・???そんでもって、うおー!いきなり「しんせき」って書けない!うわー超くやしい、思い出せるはず、たぶんこんな感じだったはずとか謎の粘りをみせるのとかも、大人げないんだよなー。さらには50問中45問、9割の正答率で「ふぉっふぉっふぉ」と鼻高々、ついにはオット氏つかまえて解けとプリントを差し出し、「勝った♡」ってやってるの、ヤヴァイなと我ながら思う。うん、超反省してる。(してない。)
そんな困ったハハのことなんてやっぱり意に介さないメンタル鋼(ダイヤ!?)のムスメ氏、「漢字テストのことnoteに書いていい?」って聞いたら、「ノー勉(勉強なし)で、って書いといてねー。ノー勉で半分はすごいよ。」と全くブレません!!なんかもうキングだなって思う。なんのキング?ノー勉ノーブレキング?大体ノー勉は褒められることじゃない気がしてきたんだけど、気のせい?
それにしても、別に漢字なんてこれからの時代書けなくてもいいなって(私自身は)思っているのに、「漢字テスト」って聞くと闘争心メラっとしちゃうっておかしない??自分でも制御不能、意味がわからんのだ・・・
ところで漢字は書けなくてもいいけれど、語彙は多いほうがいいと思うし、言葉の意味を知って運用できる力っていうのは生活上必要だと思うので、書くのではなくて「漢字テストで出題されている言葉を使って文を作る」という復習を一緒にした。この冬休み、感染拡大に備えて早くからひきこもり生活をしていたわが家。ステイホームのおともにNetflixを契約して、数年遅れての「愛の不時着」ブームがやってきていたので・・・
「38度線を越えるなんて、『言語道断』だ。」
「リ・ジョンヒョクしが、『絶体絶命』のピンチにおちいった。」
愛の不時着しばりの文章作成タイムとなり、大爆笑のうちに復習終了。えーと、ネタが古くてスミマセン。愛の不時着観たことがない方も、意味不明でスミマセン。
それにしてもNetflix、今さらなんだけど楽しいですね・・・観たいのがあれこれいっぱいあって困る・・・時間が溶ける・・・でもムスメさまのすごいところは、「早く!全部観たい!!」というハハを制して、「1日1話にしようね。」って毎日少しずつ観て楽しめるひとだということ・・・その自制心はどこから湧いてくるの?って不思議でならない。だって私は、「いっぺん始めたら最後までしないと気が済まない」タイプだから。逆にそうなるって分かっているから、何かに手を出しにくい、腰が重くなるというのもあって、Netflixも敬して遠ざけていたんだよね・・・うん、でももう観ると決めていた「イカゲーム」と「愛の不時着」を観たから、いったん契約を切るつもり。観たいと思ったらぱっと契約して、満足したらさくっと解約してっていうのが簡単にできるのも、Netflixのいいところだと思う。
と、Netflix激推しする会みたいになっちゃったので、話を戻すと。
まぁこんな感じでムスメさまと私はタイプがだいぶ違うのだけれども、苦手なことは結構共通していて、お片づけとか、家計簿記入とかは、お互いチーンとなってたり、開き直っていたりする。昨年もやっぱり途中から家計簿があやしくなってきて、最後のほうは「今年はもうできません」と放棄する事態になっていたんだけど・・・新年明けて心機一転、ムスメさまが「おかーさん、今年は2人で頑張ろう?お会計する曜日を決めて、2人でしよう!」と言ってくれて、日曜日の夜は家計簿つけタイムとなりました。がしっと握手をして家計簿つけ同盟を組んだんだけど、「いやーなんかさー、大体6ヶ月過ぎると怪しくなるんだよねー。なんていうか、飽きてくるんだよね!」とかロクデナシ発言をするワタクシ。でも「飽きる」ってヒドイようだけど、「飽きずに注意や関心を向け続ける」ことが難しいという実態があって、それは自分の意思でコントロールすることが難しいのだ。「やる気がない」「なまけてる」って言われがちだけど、まぁそういう面もなきにしもあらずな時もあるから余計難しいんだけど、やる気や根性出したら飽きずに続けられるのであればそうしたいと本人も願っているのだよ、ということは言っておきたい。「ご褒美!ご褒美だよ、おかーさん!」とムスメさまが「おとーさん」に訴えかけると、おとーさん「1年頑張って続けられたらご褒美でもいいよ。」おかーさん「そんな遠い日のご褒美のために頑張れたら最初からできとるがな。」おとーさん「3か月かな・・・」おかーさん「パソコンかな!?パソコンがくるのかな!?」おとーさん、立ち去る。ムスメさま「うんって言わなかったよ、おとーさん。」おとーさん「うっかりうんなんて言えるわけない。」おかーさん「言質とられるもんねー?」ムスメさま「げんち、って何?」両親「調べてみ?」なぜか漢字の学習につながりましたです。
いやぁご褒美作戦は無理やろうなぁ。マイクラがサクサク動くくらいのスペックを備えたPCがやってくる、くらいビッグなご褒美じゃないと無理だし、それさえも1年後とかになったら霞みそう。むしろ漢字テスト的な要素が家計簿つけに入ってたら、飽きずに闘争心で続けられるのかもしれない。・・・まだ数週間なので、頑張ってつけてるけどね!
マメで数字大好きなオット氏からみたら、理解不能だろうなと思う。最近、ICTを使って子どもたちの学習を支援する活動をされている平林ルミさんの「となりのニューロダイバーシティ 真逆の2人は理解しあえるか」という動画(ラジオ)配信が面白くてひたすら聴いているんだけど、この番組では「なにごともキッチリ系」の飯野さんと「ズボラ系」の平林さんが日常の生活や仕事について気楽におしゃべりをする中で、それぞれの違いが自然と浮彫りになっている。私は明らかにズボラ系なので、平林さんの日常生活は「あるある」だらけで「それな!」と大爆笑だし、キッチリ系の飯野さんのお話からは「キッチリできる人はなにゆえにキッチリできるのか」が分かって非常に興味深い。(分かっても自分にはできない、という気付きまでセットだけど。)表に現れて「見えていること」の背景には様々なからくりがあるって知ることは(私にとっては)いつだってワクワクするし、そうやって知り得たことは他者への想像力を働かせる「もと」になってくれると感じる。フウフでも(ラクエストラジオで)となりのニューロダイバーシティーやろうよーって言ってるのだけど、「あれができない、これができないって悪口になるんじゃないの・・・」と警戒して、「台本がないと・・・」と及び腰のオット氏であります。
それはともかくとして、「となりのニューロダイバーシティ」めちゃくちゃ面白いのでぜひ!平林さんが運営をされておられる「学びプラネット」は、子どもたちの多様な学びかたを保障する活動をされているので、そういったことにご関心のある方はサイトを訪ねてみてください。
「となりのニューロダイバーシティ」
「学びプラネット」
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