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口うるささ、いろいろ

 最近買ってよかったもの。
Boyataのノートパソコンスタンド。

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 タブレット端末を駆使しているムスメ氏、学習以外の用途でもprocreateでえんえんイラストを描いたり(無料お絵かきアプリのibis paintから有料アプリへ移行している・・)、動画編集をしたり、SNSの投稿をしたりと使用時間が長い。ずうっと下を向いての作業になることが多く、身体(姿勢)によくないのでは・・・と常々心配していた。そこでタブレットを目の高さで見られるような台を導入しようと検索してよさそうだったのが、ノートパソコンスタンド。端末の傾きだけではなくて、高さも調整できるのがいいなと思って購入してみた。イラストを描いたり、タップしたりすると揺れてしまいそうなのではなく、なるべく頑丈そうなBoyataのスタンドを購入してみたのだが。

 タップくらいじゃびくともしない!
・・・ていうか、固くてかたくて、貧弱な腕力では高さ・傾き調整すら困難!!

 ムスメ氏も私も、スタンドを抱え込んで「ふんぬー!!」と馬力を出して力を入れないと動かないんすよ。使用中は頼もしい存在だが、調整したい時は厄介という二面性を持ち合わせた製品であります。

 でも首に負担をかけない高さにタブレットを設置できて、とてもよき。そしてふと思った。これ、bluetoothのキーボード接続したら使い勝手最高にならない?思いついてすぐにキーボードを購入してみると・・・ムスメ氏がめっちゃキーボードを使うようになった!

 タブレット端末を駆使するのはいいんだけど、これまで「もっとPCを使え。キーボード入力しろ。」と繰り返しムスメ氏には伝えてきた。タブレットだけではできないこともたくさんあるし、とりわけ長い文章を作成することには(タブレットは)不向きだと考えてのことだった。私がメインで使っているノートPCのほかに、ムスメ氏と共用している(アカウントを切り替えて使っている)ノートPCがあるのだが、ムスメ氏はPCをあまり使おうとしなかった。まぁ使う必要がなかったからだし、タブレットが彼女にとって一番身近で使い勝手のいいデジタルツールだからだろう。だから「PC使え」と言っても手が伸びず、というか「手を伸ばす」必要があるツールだっていう時点で使わないのは自明だよね・・・

 そんな状況でタブレットとキーボードを接続したら、途端にパタパタとキーボードを打ちだすムスメ氏。おおお。あれほど「キーボードもっと使え」と言っても使わなかったのに。キーボード入力ができるのだったら、「比較的長い文章を作成する」という面においてはタブレットだろうとPCだろうと差はないわけで、今まで口を酸っぱくして言ってきたことのうち半分くらいの目標はあっさり達成されてしまった。

 そういうことなんだよな、と改めて思う。
相手にとって非現実的なことをやいやい言い続けてもスルーされるだけであって、相手の今の状況において合理的な環境を整えるほうが実効性があるんだよね・・・口うるさくなっている自覚をもった時には、「これは無意味。これは無意味。」と念仏みたいに唱えて、戦略を立て直すほうが双方メンタル削られずにすむような気がする。

 子どもが大きくなるにつれて、いかに自分が「口うるさくならないでいられるか」に腐心しているワタクシ・・・放っといたら口うるさくなっちゃうほうだし、その一方で「うわ。口うるさくなってるわ・・・」という自覚も結構持つので、「自分の口うるさい状態がしんどい」ことになりがちである。まぁ興味関心の幅が狭い人間なので、「気になること」と「全く気にならないこと(意識にさえのぼらないこと)」の差が激しく、まわりから見たらおおらか(気にしてない)に見えたりもするだろうと思う。でも例えば学習に関しては口うるさくなりがちで、しかも「もっと勉強しろ」とか分かりやすい形でうるさくなるのではない。むしろ「勉強しろ」と言いたくないがゆえに、環境調整やシステム改善を提案&要求することになり、「過干渉になる」という形の口うるささを発動してしまう。キーボードの利用頻度を上げるためには、口うるさくするより環境設定が重要という話をしながら矛盾するようであるが、環境への働きかけもある境界を超えると「口うるさい」行為と化する。そのことは、もう本当に自分の有害さを自覚しておかなければならないと思っている。自覚→改善になかなかつながっていないように思うのだけれどもね・・・すまん、ムスメ氏。

 オギャー!と自分のことを何一つできない状態で生まれてきて、何年も何年も大事にケアをしてきた子ども。ケアの関係性において2人(親子)の間の境界線はゆるく、「そういうものだ」と当たり前に思ってきた期間が長いから、目の前にいる同じ人が「自分とは全く別の人間だ」という新しい当たり前を獲得することに難儀してしまうのが「子どもの思春期」なのだろう。目には見えないけれど透過性は低い、しっかりとした境界線があることに気づかず、今までと同じように近づいていったらボヨン!と跳ね返されるに決まっているなぁと思ったりする。そうして新しい設定に慣れずに、親は時々バグることになるのだ。

 自分とは別の人間だ、なんて当たり前のことなのに、頑張ってそう言い聞かせないとそれを前提として振る舞えないってね・・・ほんとに難儀。私もだいぶ必死に唱えていて、ムスメ氏に対する振る舞いに対して「それは自分の友だちに言ったり、したり、出来ることか?」と自問したりしている。もちろんうまくいく時ばかりじゃないけれど、八つ当たりしそうになる時や、不機嫌やイライラをまきちらしたくなる時なんかは特に、「これ、友だちにはしないよな・・・」という思いが自分にブレーキをかけてくれているような気がしている。

 それからこれは割と前からなのだけれども、ムスメ氏が超いい人なだけに、彼女の好意をあてにしたり、搾取したりしないように気をつけている。お願いすると何でも「いいよー!」って言ってくれるので、なるべく「お願い」よりも「相談」するようにしてきた。「断る」ことも選択肢に含んだうえでの「相談」にして、引き受けてくれたことには可能な限り対価を払う。これも、私なりの必死の「境界線」である。

 と慎重なようでいて、いまだに「かわいい」を連発してたりするアンバランスさ。「かわいい」「最高」「大事」のフレーズはほぼBGMと化していて、ムスメ氏は聞いちゃいないと思われる。

 ・・・なんか、Boyataのノートパソコンスタンドがいいぞ!っていう話からだいぶそれちゃったな。書き始めないとどこに着地するのか分からないのはいつものことだけど。

※いつものことながら全く関係ないけれど、写真は子どもたちと作った「光るスライム」でーす。UVランプをあてると、超キレイに発光!どや!

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