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HPとともに目減りしていくGPは、思春期生きやすさのバロメーター

 思春期の子どもは程度の差はあれ反抗的で不機嫌なものだ、と我が身(と周囲)を重ねてみても思っていたのだけれども、「もしかして、みんながみんなそうじゃないのか・・・?」と目からウロコを落っことしてくれるのは「思春期ご機嫌さん」たち。まぁ万年ご機嫌さんの称号をもつ我が子がその筆頭ではあるのだけれども、結構ね、まわりにいるんですよね、思春期ご機嫌さんのお仲間たちが。「この子の不機嫌な姿が想像できない・・・」と思うような子どもさんのお母さんたちにちらっとご様子を伺ったりしてみるのだけれども、「全然(前と)変わらない。おぼこい。」という答えが判で押したように返ってくる。もともとその子どもさん自身が持っている特質なんだろうなぁというのは我が子をみていても思うし、同じ親御さんに育てられていても兄弟でご機嫌さが違うのだから、「育て方」の問題なんかじゃない(ゼロではないだろうけれど)と思う。ただそのご機嫌さを維持するための環境は大事だろうなとは思っていて、というのもムスメさまも中学校へ毎日通っていた時はくたびれて果ててノー笑顔で帰ってきていたし、本人のキャパを超えた環境は「ご機嫌さ」を目減りさせていくのだということは何となく分かっている。HP(Hit Point、いわゆる体力)が減っていくとともに、GP(ご機嫌・ポイント)が連動して減ってっちゃう感じ。

 ここで大事なのは、HPの総量も、何がダメージになるのかも、はたまたダメージの受けやすさや防御力の高さも人によって違うというところである。同じ環境にいてももともとHP高い人は生き残りやすい、ということもあれば、同じ環境にいてHP高くても防御力が低くてダメージを受けやすかったり、特定のダメージに極端に弱くてHP減りまくってしまうこともある。だから結局は本人の特質×環境で生きやすさは決まるものであり、GP(ご機嫌さ)は他者が視認したり、本人が自覚できる「生きやすい環境にいるかどうか」のバロメーターになるんじゃないかと私は考えている。

 だから私は、イライラして不機嫌な子どもたちのことを「思春期だからそんなもん」と受け流しちゃうのではなくて、「GP減ってる!HP減ってしんどいんじゃないか?」という視点でみてあげてほしいな、と思っている。そして何がダメージになっているのかを考えて、ダメージ元にアプローチする方策がとれるといいな、と思う。こういう時「防御力をあげろ!」って我慢させられたり、逆にスパルタ指導されたりすることもあると思うんだけど、「闘っているうちにそのうち防御力つくでしょ」なんて無策だったらLife(命)いくらあっても足りんのよ・・・マイクラでもハート1個になったら、肉食べながら逃げるでしょ。ハート減って死にそうになってる時にエンチャントして防御力上げてる余裕なんてない。まずは逃げて回復するしかないのは、リアル人間だって同じである。そしてハート1個になってから回復するのには時間がかかるし、スケルトンに射貫かれたらすぐ死んじゃうハラハラレベルだけど、ハートがたくさんあるうちに肉食べたらすぐに回復する。これもリアル人間と同じ。ダメージが浅いうちに休め、あるいは手を打て、である。

 思春期のイライラは「ホルモンがー」と言われることもあるけれど。もちろん内因的な要因はあるのだけれども、だからといって「どうしようもない」と軽視されていいわけないし、むしろ「だからこそ」アプローチ可能な環境に働きかけるべきなんだと思う。ホルモン動態が乱れている状態が「HP半分減った状態」デフォルトとみなしうるならば、イージーモードでゆるゆるしてたらいいし、なんなら敵が出てこないピースモードで建築や農業してたらいいよね。そうしたらきっと、GP(ご機嫌・ポイント)も維持されて、そこそこニコニコしながら過ごせるんではないだろうか。手持ちのGPマックスがどれくらいか、にもよるけれど。

 というようなことを書くと、「親が」そうした配慮をするべきだというふうに読まれてしまうかもしれないけれど、もちろん親にできることもあるが、むしろ「社会が」思春期の子どもたちのGPを削らないようにしてくれよな、という話をしている。だって親がいくらご機嫌でいられる環境を望んだとしても、学校がハードモードだったらそこに送り出さないといけないわけで。思春期の子どもたちにピースモードを社会が用意できたらいいんだけど、現状はむしろ逆で、勉強に部活に塾に、ものすごい忙しい生活を強いられている。こんなんでご機嫌さんでいろっていうのはどだい無理な話で、ムスメさまに限ってはそこから「降りる」ことでGPを維持したんじゃないかと思っている。これは「降りてよかった!」っていう話では決してなくて、「降りる」しかないって義務教育なんだからおかしなことなんだぞ?だから常々訴えているんだが、地域の学校もマイクラにならって「ノーマル」「イージー」「ピース」の3段階くらいに分けて、子どもたちが自分に合わせて選べるようになったら最高だと思う。

 そしてもうちょっと長期的な視野で考えると、子どもたち自身が自分の力や特質を知って、自ら環境を選んだり、「環境を整えてくれ」と主張できるようになる、ということも大事である。OECDが示している、これからの時代に必要な能力「キーコンピテンシー」の中にも「自らの権利、利害、限界やニーズを表明する能力」が含まれていることに注目したい。ここで一番私がぐっときたのは、「自らの限界を表明する能力」である。この国の教育システムの中で自分の限界を認めたり、表明したりするって本当に難しい(時として死活問題になる)けれど、「私もともとHP低いから、イージーモードで」と選べるようになる、ということが生涯教育において育むべき力の中に入っているというのが嬉しい。どちらかというと「育てるべき能力」っていうと、自分の能力を高めて、社会に働きかける力(影響力)ばっかりが謳われるような気がしているんだけれども、それと同時に自分自身や置かれている環境を相対化する、メタ認知の能力ってすっごく大事だと思っている。人とは多様なもので、自分がどうしても出来ないとか難しい、苦手っていうもの、合わない環境はあるわけだから、そこにフタをして盲目的に頑張り続けるしかできないのでは早晩行き詰まってしまう。だから自分の力と向き合って「それ無理です」って言える力は持続可能性の面でも重要で、ぜひとも「安心してできないと表明できる社会」がセットになって、個人・社会の両側面から育まれて欲しいと思う。ちなみにうちのムスメさまは「週5日も学校に通える気がしない」ということで週3日の登校スタイルを選んでいるけれども、それも「学校は週に5日行くもの」という社会通念を相対化したうえで、自分の力を自分で評価し、「登校日数はイージーモードで」って表明できているのだから大したもんだと思う。

「ねぇお母さん、すごいと思わない?学校にね、嫌だなぁと思う先生が一人もいないの。」
 先日ムスメさまが、驚きながらそう言っていた。たぶん、めちゃくちゃ素晴らしい先生がたくさんいるとかそういうことじゃなくて、威圧的だったり管理的だったりする(ムスメさまにとっては嫌な)先生が(今のところ)見当たらない、ということなんだと思う。人間同士のことなので、先生と生徒にも相性の良し悪しというものはあると思うんだけど、やたらとGPを削ってくるような人が身近にいない、っていうだけでだいぶ快適なようである。あとまぁ、週に3日だから人間関係も密になりすぎず、適度な距離を保てるのかもしれない。GP維持にとって人間関係は無視できないものだから、それが過度なストレスとならないようなシステムのデザインも重要だなぁとしみじみ思う。

 とにかく自分がご機嫌でいられるか?ということが、もっと物事の判断基準になってもいいのになぁと思うし、自分のGP上げる・回復させるために何が有効かは自分自身しか分からないんだから、どんどん探していきたいよね。逆もしかりで、何が自分のGPを削ってくるのかも把握して、避けるなり撃退するなりしないといけない。そのことをよく知っている人が、万年ご機嫌さんなのかも?

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