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自分で学ぶって大変

 悩んだ末に一念発起して、今通信教育課程に在籍して学んでいるのだけれども。

 「1人で学び続けるって、クッソ大変!」
という事実に直面して驚愕している。教科内容の習得以前に、まず学校のシステムについて熟知して期限内にあれこれやらなくちゃいけないことも多いんだけど、それすら「ハテナ?」が飛んでいちいち戸惑う。普通大学に入学したらまず親切なオリエンテーションがあり、同級生たちの振る舞いを見たり聞いたりしながらなんとなく流れに乗ってできるんだろうけど、そういうのがないと困難度がこんなにもぐっとアップするなんて、ほんとにビックリ。まじで困ったので、オンライン個別相談なるものを申し込んださ・・・人に直接聞くのが一番だよね。奇跡的にとても身近に、同じ大学の通信教育課程をわりと最近卒業された方がいるので、レポートのことテストのこと、細かい「実際の感じ」を聞くことができて本当に助かっている。「持つべきものは先輩」そんな気持ちになってしまうくらい、心もとない学生生活である。コロナ下で大学生活をスタートさせた学生さんたちもきっと同じような状況に置かれていたと思うので、ほんとにハードル高かったよね・・・よく頑張ってこられたと思います。盛大に労いたい。

 そして「まぁなんとかなるやろー」という天性の楽観主義で飛び込んだはいいものの、月に2単位ずつとっていかないといけないということの厳しさを、学習し始めて初めて知る見通しの甘さ・・・2週間に1本、テキストを熟読してレポートを提出しつつ、試験を受けなくちゃいけないのはなかなかに大変である。しかも学習内容がヘタに!?今の自分の興味と丸かぶりしているので、気になって資料をえんえんあたってしまう沼にはまったりして、捗らないことこの上ない。遠い昔に大学生だった頃は、自分の文章力を悪用?濫用?してテキトーに書いて出したレポートは数知れずだったが(時間は山ほどあったのに、色々もったいないことしてたよね・・)、今はいちいち気になったことを調べて情報が膨大になり、まとめるのに頭抱えている(そして結局調べたことなんて盛り込めずに、当たり障りない感じになる)。沼っていると2年での卒業が危ぶまれるので、ほどほどにしておこうと思う。

 とにかく「学ぼう」と思ったら、自分のライフスタイルに合わせて学べる選択肢がどんどん増えてきていて、本当にいい時代になったなぁと思う。がしかし、多様な学びかたの過渡期でもあるのでシステムがまだ追いついていない部分もあり、「やってみないと分からない」障壁は結構あるんだなぁということも実感している。「2年間でとる単位数はこれだけ。好きな順番で卒業に間に合うようにとっていってねー。」と自由度が高いぶん、「どれからとっていったらいいの?」ってなるし。どれからでもいいんだけど、どう学びを進めていくと内容を理解しやすいのかとか、専門外の領域だとさっぱり分からないし想像もできないんだよね・・・履修プランも完全に自分で立てることになるから、「これでほんまにいけるんか・・・」と不安になる。まぁできるようにやっていくしかないんだけど。

 文部科学省の謳う「個別最適な学び」について資料を読んでいると、こういう、自分で学びたいことを選んで自己調整しながら学んでいく力の育成が目指されているように感じるんだけど、正直なところ「いやいやいや・・・」となってしまう。もちろんそうあったらいいと私も思う。でも我が子は公教育を自ら離れたこともあり「自走する学習者」を目指して大きく舵を切ったけれども、その教育にはものすごく人的・物理的(時間的)コストがかかるということは(自分たちが伴走してみて)体感済みであるし、そもそも「他者との競争の上での評価」とか、「一斉授業」という文化の中では達成不可能なのでは?と思う。「児童生徒の発達の段階を踏まえつつ、児童生徒一人一人の多様な能力・適性、興味・関心、性格、学習経験等を的確に捉え、児童生徒一人一人の発達を支援していく」なんてさらっと書いてあるけれども、35人学級先生1人状態でそんなことができると本気で思っているんだろうか?15人でもなかなか大変だろうと思うし、「そもそも」ばっかり言ってしまうけれど、そもそも「学級」というシステムで実現可能なのかどうかもあやしいと思ってしまう。(古い)制度自体が維持されたままで、「そうだったらホントにいいよね」という理念がぶち上げられているっていうのが、なんとも辛い気持ちになる。なんていうか、「SDGs!環境によいものを購入しよう。」と言いつつ「食費は月に3万円まででやりくりしてね。」って言われているような気がしてしまうのは私だけ?こう言っちゃなんだけど、ある程度お金で解決できることも多いのに、こうも出し渋られるってなんなん?40人学級から35人学級へなんてみみっちいことじゃなくて、20人学級に先生2人くらいつけないと(文科省のいう)理想の学びは実現できそうにないし、固定された「学級」制度から「児童生徒一人一人の多様な能力・適性、興味・関心・・・(以下略)」に合わせて子どもたちが選択できる履修制度なりプロジェクト制度なりに大胆にシフトせざるを得ないような気さえしている。

 この古い制度の中で新しい理想の形を無理やり実現していこうとする流れは各教科の中にも現れていることに、最近気づいた。ムスメさまのテストをみていると、やたらと登場人物たちの対話形式で出題されていて、しかもそれが「〇〇は、××に関係しているね。」など物事の関係に気づく発言だったりしている。この形式だと文章量も多くなり、背景情報を処理しないといけなくなるから、大人の私にとっても負荷が高いし、「めんどくせぇ」とものすごく嫌になる。なぜにこんな問題が増えているのか謎だったのだけれども、学習指導要領が対話とか協同的な学びを強調しているからなんだということがうっすら分かった。でも「そうじゃない!」感が半端ないというか、対話とか協働的な学びの「形」をテストの紙面で展開する必要なんてなくない?そして物事の関連性に気づく主体は、(テストを受けている)子ども自身であるはずなのに、テストの紙面ですでに行われちゃっているし。だけどテストで子どもたち自身に関連性を記述させるのは採点するのも大変だし(労力的にもだけど、採点する側にも膨大な知識が必要&事実確認も必要で大変そう)、数値化した際の公平性も担保できない。だから形式的に「対話っぽいことをしている」問題をのせて、「対話を通して見方・考え方を働かせる」ことができるかどうかを測ろうとしているのだろうけれど・・・ものすごく無理がある。どう考えても。

 それに「対話」とか「協働的な学び」って簡単なことのようにいうけれど、それ自体非常に専門性が必要なんじゃないかと私は思っている。子どもたち同士で話し合えば「対話」になるわけでは決してなく、「対話」が成立するためには、それが可能となる場を丁寧に整えることから始めないといけない。子どもたちの関係性の中にある微妙な力関係、異なる意見が尊重される・聞かれる場なのか、意見の表出手段が個に応じて保障されているのか・・・そういったことへの配慮がなされなければ、子どもたちは安心して意見を表明することなどできないし、発言できる子どもたちだけで先生の求めている答えを言っていくという、「対話」とはほど遠いけれど「それっぽい」形になって終了、なんてことになってしまう可能性もある。実際子どもたちに学校生活のことをインタビューさせてもらった時も、この無理やり対話の学習をとても嫌だと感じている声もあがっていた。「対面・発話によるコミュニケーションが苦手」という子どもも一定数いるわけで、「対話」の準備状態が異なる子どもたちが無理やり対話をすれば、それに苦手さを感じている子どもたちの苦手意識がさらに高まって終わってしまう。だから準備状態に合わせてスモールステップで始めることはもちろん、表出手段を多様に用意したり、無理に話さなくてよいことを保障するなどして、安心・安全な場を丁寧に作っていかなければならないと思う。そうするためにも確実に時間的余裕が必要なわけで、とにかくマンパワーを(=予算を)!と叫ばずにいられない。

 義務教育はこんな感じでなかなか「こうありたい、こうしていこう」という理想に合わせてシステムが変化していけない状況だが、義務教育以降は徐々に「主体的・対話的な深い学び」というものを模索しながら実践していく仕組みや仕掛けを作り始めているなぁと感じている。ムスメさまの高校の教科学習もベースがそうなっており、ただ座って授業を聞くだけの一斉授業が合わなかったムスメさまにとっては楽しいようで、授業でこうだったああだったと嬉しそうに話をしてくれている。一方色々偉そうなことを言っているくせに私は古い学習観が染みついてしまっている部分もあって、「そうはいっても教科学習が全部それでは、基礎学力がつくんだろうか」とぶっちゃけ不安になっている。ムスメさまは中学まで自分のペースで学力をつけてきたこともあり、それが途絶えてしまうのはもったいない、みたいな、それこそみみっちい考えを自分の中から追い出すことができない。だから「学校が理想とする学び観にはおおいに共感しているし素晴らしいと思っているけれど、(教科の)学習面については不安に思っている」という話を夫婦でしていたら、ムスメさまが一言。「そんなのは、自分でするものだと思ってるから。」・・・頼もしいな!実際教科書がどさっと自宅に届くと、それをチェックしてから本屋さんに参考書や問題集を買いに出かけたムスメさま。きっと対話的・協働的な学びは学校でしかできないから学校で、あとはこれまでやってきたように自分でやるって最初から考えていたんだろうなと思う。ゆっくりゆっくり中学3年間歩いてきたけれど、すっかり自走していたのだね・・

 さてそんなムスメさま、先週末はお友だちと連れだって、美術系大学のオープンキャンパスに行き、アクセサリー作りやイラストのワークショップを堪能してきていた。高校の3年間でまたやりたいと思えること、学びたいと思えることに出会えるといいね。

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