ネガティブな先入観ほど厄介でもったいねーものって無いんだぜ。

最近の話。
賛否両論あるだろうし、私は私が正しいとはちっとも思っていないので、完全なる吐露なのです。

「小島さんはAちゃんと仲良しだから、あんまり良く思えない。」という理由で悪印象を持たれたのだ。もちろん、私に対して悪印象を持っているBちゃんは、Aちゃんに関する全てが気に食わない様子で。

Bちゃんのそんな吐露に関しては、実は人伝に聞いたもので。伝聞したCさんに関しては、最初うまくはぐらかしてくれたんだけど、話の終わりの部分が妙に気になった私が、尻尾ひっつかんで、Bちゃんの吐露について詳しく話してもらったのだ。

この話の中で、例えばBちゃんが、私に一目でも会って話したことさえあれば、「そうかあ。私の態度なんかにも問題が会ったから、一括りに嫌われてしまったのだなあ。」と思えるのだけど、なんということでしょう。私とBさんは、顔を合わせるどころか、SNSさえフォローし合っていない仲なのです。

多分ここで人のこころは、二手に別れるのだと思う。「変な先入観と括り付けで人に悪印象を持つ人とは関わらないようにしよう。勝手に言ってて。」という人と、「いやいやいやいや全然意味がわからない!私のこの表裏の無い性格を知って、さらに15分でも会話してから嫌ってくれ!」という人。はい、私後者ですね。だって、大体の蟠りは、話せば分かり合えるもんだと信じているから。

そもそも、私がAちゃんと付き合うことに関して言えば当然自由だし、BちゃんがAちゃんを嫌うことに関しても自由。でもさ、待ってよ。Aちゃんと「仲良しだから良く思えない」って、どうなの?ねえ、それ大人としてどうですか?私の何を知って、「良く思えない」のですか?それってさ、八つ当たりみてーなもんじゃね?人ってさ、社会のルールだけ守ってりゃいいんじゃないんだよ。わかる?人として。人として生きる上での正義は芯に据えてなけりゃ、廃るでしょうがよ…。

そんな思いで、私はBちゃんととにかく、直接話さなきゃ。となった。
例えばBちゃんが、発言力のある人だったら、その先入観ベースの「小島さんあんまり好きくない」をばら撒かれたら、やっぱり困る。誰がそれを信じるかも、疑うかも、私には見えないのだから。

それに加えて、私は人の心の部分を信じたいのだ。
人の心って、そんなに単純に、極端に、勝手に、棘が反り立つもんじゃない。話せばわかる、寧ろ、話さなきゃわかんない。そうでしょ?

だからBちゃんには、なんらかの偏屈になってしまう要因や要素があるのかもしれない、それならそこを理路整然と解決した方が絶対にいい。苦労はしても、双方にとっていい。そう思って。

なんで、どうしても間に立ったCさんにはお願いしなくてはならなくて。どうにかこうにか、Bちゃんと直接話させて欲しいってCさん介してお願いして、まあまあ案の定答えはNO。Bちゃんは、直接対決的なところは避けて通る方とのこと。。

さらにCさんからは「他人は他人だし、私から見てその人の思いが間違っていても、その人にとっては正しい。だから、それを否定することはしたくない…というか、するだけ無駄だとも思うし、他人の個人的な思いにまで踏み込む気にはならない。」とされたのだが。
う〜ん。違うんだよなあ。正直、私は否定をしようと思って会うのではなく、「和解」をしたかったのだ。問いたかった。私という人間に対する「悪印象」が誤解であろうがなかろうが、一旦話して、それから決めて欲しかったのだ。少なくとも私は、会ったこともない人間に対して、その人となりを知ることなく、悪印象を抱くことはないだろう。

だって勿体ないじゃん。
もしかしたら私とBちゃん、親友になれたかもしれないのに。
「Aちゃんと仲良しだから」って理由で、私の目を見ることすら、拒まないでよ。その先入観が、ありとあらゆる素敵な可能性を振り払って、哀しいものしか残らない。

なんて理不尽なのだろう。
こうなってしまってもまだ、私はまだ見ぬBちゃんという人間の芯の部分を信じている。理不尽に人を嫌うような人ではないのだと思う。本当は。だって私の大切な友人であるCさんとは、分かりあっているというのだから、何よりの証拠じゃないか。

Bちゃん。まだ見ぬ人。きっと、彼女も悩んでいるんだ、怒り、哀しみ、疲労、心労。色んなものが背中に覆いかぶさって、猫背になって、偏ってしまっているのだと信じたい。

私は、人を信じたいのだ。


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