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藁を綯い、縁を綯う

しめ飾りを作るようになって5年。

この5年間、民藝や藁細工の本を読んだり、しめ飾りの展示会に通い、旅先では玄関に飾られているしめ飾りを見つけては写真をたくさん撮り、作る数も種類も年々増えてきた。

この時期は散歩をしていても、藁っぽいものや縄につい目が行く。
重症になってくると、三つ編みの女性の髪をしげしげと見つめてしまう。

SNSの広告は藁細工っぽいものや民藝の展示会の告知で溢れる。

大好きなカレーの食べすぎで基本的にターメリックに染まっているはずの頭の中はこの時期だけ藁一色に染まる。

そんな風に私を魅了して止まないしめ飾りには、地域ごとに色んな形があり、それぞれ形にちなんだ意味があり、願いもさまざま。

親族や、お世話になった方、欲しいと言ってくれる人にも僭越ながら作らせてもらっている。

見た目で気に入った物を選んでくれる人もいれば、お任せと言われ、その人の雰囲気に似合いそうな形で作ることも。

たくさんの藁が集まって一本の縄になり、形を作る。
なんと愛おしいことか。

出来上がったしめ飾りは大切な人達の手に渡り、その人達の家の玄関に飾られる。

誰かの新しい一年を思いながら藁を綯うことは、誰かの新しい一年を背負える訳ではないのに背負っているようでちょっぴり責任を感じてしまうが、圧倒的に嬉しいと楽しいが勝つ。
冬の空気も相まって、程よい緊張を感じながら今年も楽しく藁を綯う。

そしてこの一年は藁綯いのように誰かと誰かをより合わせる一年でもあった気がする。

私はカレーが大好きだ。
もっと言えば、カレーが大好きな人たちが大好きだ。

あの人とあの人が一緒に何かやったらもの凄い化学反応が起きるな。
とか、
あの人には今、あの人が必要だと思う。
といったような直感が働きまくっていたように思う。

それはカレーの人×カレーの人の場合もあれば、
カレーの人×カレーと関係ない人の場合もあった。

藁と藁をより合わせるように、誰かと誰かをより合わせる。
そしてそれがおもしろいことになって、誰かが楽しんでくれたら、嬉しいし、愛おしい。

自分自身が玄関に飾られることは無いけれど、自分が作ったしめ飾りを見て、その家の前を通った人がちょっとでも微笑んだり、心穏やかになってくれたら嬉しい。

誰かの為に。なんて大袈裟だけれど、
そんな風にこれからも黙々と藁を綯い、縁を綯い、自分でも知らないうちに誰かが笑っていたら、おもしろいなぁ。




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