見出し画像

『one more chance』

『〇〇!バレーしよ!!』

学校が終わり真っ先に帰る僕の後を追って、ランドセルを背負ったままの君が2階の僕の部屋めがけて叫ぶ声が聞こえる。

「なんで?」

『上手くなるため!』

君のバレーボールの腕が上達したって僕に何のメリットも無いのに、あの頃は言われるがまま練習に付き合った。

そんな僕らも近所の公立中学校に進学した。
楽しそうにボールを追う君につられて僕もバレー部に入部した。同級生達はどんどん身長が伸びてゆくのに僕はまだチビのまま。

「俺だって、アタック打ちたいわ」

『でも、リベロもカッコええやん』

帰り道、口から溢れた愚痴を1つもこぼさずに拾ってくれる君

「ビブスってださない?」

『ださないよ。高校上がったら1人だけちゃうユニホームやろ。目立つやん』

「プレーで目立ちたいわ笑」

「そういう保乃はスタメンやろ?凄いやん1年やのに」

『うん。先輩達の足引っ張らんように頑張らなアカンわ』

そう言いながら、君は腕を振り抜いた。



その後、保乃は卒業までアタッカーとしてスタメンに選ばれ、チームのエースとして試合で活躍し続けた。比べて僕は相変わらずビブスを着用してリベロとして試合に出ていた。
中3になる頃にはリベロに引け目なんてなくなって、ボールを落とさないという単純な仕事に打ち込めるようになった。

中学最後の公式戦。
男子バレー部は二回戦敗退、女子バレーは大阪2位という好成績で幕を閉じる。

相手のセットポイント、ボールを託されたのはエースの彼女。君は少し乱れたチームメイトからのボールを迷わず振り抜く。腕から放たれたボールは無情にも相手のブロックに叩き落とされて、彼女達の負けが決まった。

他のチームメイトが床にうなだれ泣いてるのに、君は立ったまま喜ぶ相手コートを呆然と眺めていた。そんな彼女の背中はとても小さく見えた。

「ほら最後の連続得点、めっちゃ凄かったやん」

僕の励ます声をかき消して、君は泣く。
君の頬を伝う涙を落とさないように袖を伸ばしたジャージで拭ってあげる。

「泣くなよ。……帰ったらバレーしようぜ。」

『…うん。』

それから僕たちは別々の高校に進学し、相変わらずお互いバレーボールを続けていた。
僕は高校に入ってから身長が伸び始め、172センチに落ち着いた。それでもバレーボール選手にしては低く、リベロとして試合に出ている。

『来週、試合やんな?』

「うん」

『応援行くわ』

保乃は部活が休みの日は試合を観に来てくれた。

「保乃は試合いつなん?」

『こんでええよ、保乃、試合でられへんし』

保乃は163センチで身長が止まり、170センチのアタッカーがいるチームで補欠になってしまったらしい。

「くさんなよ」

涙を流させないように励ます。

「努力にはちゃんと意味があるから」

『報われるって言わへんところ〇〇らしいな』

君は少し弱く微笑んだ。

そんな君の努力も報われずスタメンにはなれなかった。

「3年間お疲れ様」

ひと足先に最後の公式戦が終わった君と試合会場の外で合流する。

『うん。疲れた。』

「惜しかったな」

『うん』

君は最後までコートに立つことなく試合を終えた。

『3年間一瞬やったわ』

「夢中で頑張った証拠やん」

「今回は泣かんでええの?」

『いつも泣いてるみたいに言わんといてや』

『でも〇〇の顔見たら涙引っ込んだ』

その大きな瞳に限界まで涙を溜めて笑う姿がたまらなく愛おしくなって思わず君を抱きしめる。

『もぉ何?恥ずかしいやん』

「泣いていいんやって。全部俺が拭うから。」

君は泣き声を殺しながら僕の肩に顔を埋める。
震える背中をさすりながら、負けない事を誓った。

そんな僕も全国へのチケットを手にする事なく高校バレーが終わった。

『お疲れ様』

「ごめん、負けた」

『頑張ったやん』

流れそうになる涙を止める為に目を瞑る。
その度に瞼の裏には最後のプレーが蘇る。

相手セッターのトスが短いことも、
スパイカーの助走が足りないことも、
フェイントの為に開いた手のひらも、
全部見えていたのに、蓄積した疲労のせいで一瞬反応が遅れた。
咄嗟にフライングしたが、ボールに間に合わずボールの転がる音と、審判の長い笛が会場に鳴り響いた。

「ごめん」

謝るなって。仲間は言ってくれた。
ボールを落としたリベロに存在理由は無い。
そう責めて欲しかった。
その方が楽になれた気がする。

引退してから僕はバレーを避けるようになった。大学からの推薦もあったが、続ける気は無いと断った。
そのことを知った保乃はとても怒った。

『なんで辞めるん?』

「そんなん俺の自由やろ、もう飽きたんだよ」

『嘘や!逃げてるだけやろ!自分のミスで負けたこと後悔してるんやろ!』

「保乃に何が分かんねん」

『…分かるよ』

そうだ、君は分かる側の人間だ。
君も自分のミスでチームを終わらせた人だ。

『保乃は続ける』

『保乃にはバレーしかないもん』

そう言った君の表情は苦しそうで、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。



高校卒業から8年が経った。

最後に前を向いたのはいつだろう。
駅前の大規模開発は終わったのか。
少し入ったところのボロ屋は取り壊されたのか。

街の変化に気付けないくらい僕は置いて行かれている。

LINEには2年前から未読の『なぁ、今なにしてるん?』の文字
君に追いつく方法も、忘れる方法も分からないまま。
ただ、季節が流れた。

━━━━━━━━━━

6年前の大学2回生の頃

"あのな"

"保乃な、東京行くねん"

"東京でな、アイドルなるねん"

君は突然言い出した。

「は?」

『なんかな、推しに会いたくて説明会みたいなやつ行ったらスカウトみたいなんされてな…』

『流れでオーディション受けることになってんけどな、』

「………バレーは?」

居ても立っても居られなくて君の話を遮って問い詰める。すると、保乃は俯いた。

『〇〇も気付いてるんやろ』

『保乃がとっくにバレー諦めてること』

僕が高校で自分のミスで負けた時に初めて気付いた。
保乃の心は中学の引退試合で既に折れていたことに。
自分のせいで友人の青春を終わらせた罪。
それは18歳だった僕にも、ましてや15歳だった君にも重すぎて、バレーを諦めるには充分な理由となった。

『アイドルになりたい』

『バレー以外で生きれるようになりたい』

君は最後にそう言って僕を置いて東京へ向かった。

━━━━━━━━━━

社会人なってからの休日。
カーテンの隙間から差し込む朝日が鬱陶しくて布団を頭から被り直す。

そういえば、部屋の積読は昨日で最後の1冊を読み終えてしまった。結婚を目前とした主人公の恋人が失踪し、探していくうちに多くの謎と出会い、解いていく話。読んでいる時は面白かったのに、客観的に振り返るとありきたりなストーリーだった。

今日は午前中に映画館で一本観て、その後近くのチェーン店でお昼を食べる。午後からは映画館に戻ってニ本観る予定。
そろそろ準備を始めないと映画の時間に遅れる。
ユニクロで買った服を衣装ケースから取り出す。長い間、畳んだまま放置していたせいで少しシワが付いているのも気にせずに着替えた。

バターロール2つ。カフェオレを飲みながら横目でめざましテレビを見る。
流れるトピックはどれも他人事。
"今週のエンタメは櫻坂…"
ゆっくりしてる時間は無いことを思い出して、テレビを消した。

踵がまだ生き生きとした新しめの靴も踵を潰して履き、駅まで歩いてゆく。過ごしやすい気候。陽の光も優しく、風も心地良い。少しだけ遠回りして家から離れた公園に寄ってみる。植えられている桜の木は桃色から程遠い、赤や黄色に染められていて、春とは違う美しさを持っていた。

駅に着き、乗り換えの関係で特に混雑する1両目と8両目を避けて電車に乗り込む。結構激しめに揺れる環状線内回り。しばらくすると、電車は大阪駅に着いた。
途切れ途切れになるワイヤレスイヤホンもこの人混みの中では頑張ってくれている方だと思う。

改札を出て、右に曲がる。
エスカレーターを降りて、ビル沿いに歩く。
横断歩道を渡って万年工事中の間を通ってスカイビルに入る。
空中庭園に向かう恋人達を横目に小さな映画館に辿り着いた。ここの映画館は傾斜が少なく、スクリーンとも距離があるため1列目を取るようにしているが、今日は先客が1人。仕方なく、一つ開けて席を取った。

甘ったるいキャラメルポップコーンもいつもの癖で買ってしまった。
早めに開いた劇場に入り、予告映像を眺める。
恋愛映画、サスペンス、アクション
"あいつが帰って来る!"なんて決まり文句もうんざりする程聞いた頃、照明が落とされた。
スマホをカバンに仕舞おうとした時、何か通知が来ていた気がしたが、電源を切って見ていないフリをした。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』
原作は東野圭吾の本だったか。
山田涼介は顔も良いのに、演技力も高いのか。
嫉妬するには雲の上すぎて、何に嫉妬して良いのかも分からない。

"やっぱり映画はハートフルに限るよなぁ"

ここら辺で保乃だったら泣くんだろうな……。 
ポケットのハンカチを取り出しそうになって初めて自分の気持ちに気付いた。 


わざと潰した踵も
『踵つぶれてんで』
君が怒ってくれるから


少し遠回りして桜の綺麗な公園に行くのも
『桜めっちゃ綺麗〜お花見しような〜』
君が約束してくれるから


満員電車で荷物を足元に置くのも
『ごめん、ちょっとつかまってていい?』
君がふらついても支えてあげれるから


甘いポップコーンを買うのも
『お腹すいて集中できひんかった〜』
君が映画を満足して観れるようにするため


考えないようにしていたのに、
思い出さないようにしていたのに、
街中に君の姿を投影してしまう。



あぁ、僕はどうしようもなく保乃に会いたい。


いつのまにか映画は終わっていて、慌ててスマホを取り出す。再起動された画面には2時前の君からのLINEの通知があった。

『なぁ、今なにしてるん?』

吹き出しには君が傷付いている時に必ず使うセリフが書かれていた。

「あと、3時間くらい待てる?」

『なんで?待てるけど』

すぐに返ってきた返信。

公園にも、映画館にも保乃は居ない。
顔を上げれば、少しだけ開発が進んだ駅前。

「今から行くわ。東京。」

3時間?5時間?いや、何年?
君を待たせただろうか。
我儘を許してくれるならもう少しだけ待ってて欲しい。
いつの間にか生まれた君との距離を今から埋めに行くから。
もう一度、君のもとへ。

その涙が落ちる前に。

色づいた落ち葉を蹴りながら僕は走った。