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つながりの時間、未来の記憶

2029年3月31日の土曜日。ある人は先進的なレストランに希望を抱き、ある人は新しい挑戦の中で未来を探す。人々はつながり、そして動き出す──そんな一日の出来事。

AKI(31)

三月最終日の昼過ぎ。私は自身が経営するレストランの店内で談笑して食事をとっている会員を横目で見ながら、エンジニアと調理システムの機能改善案について確認していた。

大学を卒業したのは、ほんの少し前のことだと思っていた。しかし、ふと考えるとそれはもう十年近くも前のことで、卒業後にいくつかの企業を渡り歩いた後で自身の会社を設立したのが約一年前。大学時代からの友人で大手ホテルの調理師として働いていた柳川と、夫でもあり前の職場で一緒だったエンジニアの隆の三人で起業したこの会社も、なんとか去年の年末に一号店となるレストランを都内のビルの一角にオープンすることができた。

私のレストランは所謂ステーキハウスなのだが、ここで提供する肉はすべて「人工肉」と呼ばれる細胞培養技術を用いて人工的に作り出した肉を使っている。さまざまな筋肉、組織、脂肪および血管の細胞を特定の比率で組み合わせて店内の培養室で作り出したものだ。《MEATECH》というミート(肉)とテクノロジーを合わせた造語の店名も、最初は自身のセンスの無さに自嘲的な笑いを浮かべたものだが、今ではそこまで気にならなくなっていた。

このステーキハウスは会員制で、毎月一定額の会員料金を支払えば月に決められた回数の食事を、毎度の会計の必要なく利用できる。会員の好みはデータ化され、それぞれの会員の嗜好にあった肉を予約状況を元に事前に培養することで、ほとんどロスなく肉を提供できることも強みの一つだ。またウェイターやコックは一人もいなく、店内の調理から配膳、清掃まですべてを機械化されたオペレーションで運営している。天然の牛肉と比べるとまだ割高な人工肉ステーキだが、比較的裕福な都内の経営者を中心に会員が増え、今日のような土曜日の昼間であれば予約で毎週ほぼ満席になるくらいまで軌道に乗せることができた。

会社のメンバーである調理師の柳川は新メニューの開発と現場の管理が主な仕事だ。エンジニアの隆は肉培養システムの開発をしながら、外部企業と協力して会員システムの運用を数人のエンジニアで実施するという激務を行ってくれている。私は会社のマネジメントとマーケティングが主な仕事だが、隆と一緒に深圳の企業から店内のオペレーションロボットの調達や調整を実施することも業務の一つだった。

オープン当初は疑惑の目で見られることも多かった私のレストランも──当然、私も上手くいくのか心の中では不安だったのだけれど──今では毎週のようにメディアで取り上げられて、資金提供してくれた食品会社の投資担当者も来季の追加投資を検討してくれている。まだ初期投資の回収には時間がかかるだろう。しかし、今のペースで会員数が増加すれば来年には回収が見えて来るため、二号店の出店検討を同時に進める予定だ。

昨日は、深圳に出張中の隆が導入済調理ロボットの機能改善について現地企業と打ち合わせを行った。その内容確認のため、漆黒色のカウンターに腰掛けながら、店内に流れる神秘的なアンビエント音楽と、食器が擦れる金属的な摩擦音が混じったBGMの中、オンライン上のチャットグループで協議していたのだ。培養された肉に応じて繊細な焼き加減の調整が必要なことを現地の中国人担当者に説明するのは骨が折れたとメッセージを送ってきたが、どうやら一旦は納得してもらえたようで必要な改修について検討してくれるらしい。懸念していた事項の一つに解決の目処が立ったのでほっとしていると、視界の右端の辺りに設置された四人掛けのテーブル席で、カジュアルな服装に身を包んだ最近偶に見る若いグループの姿が見えた。

肉培養の過程の動画が流れる液晶ディスプレイのすぐ下の辺りで座っている、まだ十代ではないかと思われる若い四人組は──とはいえ決して安くないここの会員費を支払えるのだから環境に恵まれているのか、それとも何か特別な事情があるのか…。なんとなく、どこかで見たことがある顔のようにも感じたけど思い出せない。──記憶を探るのを諦め、カウンターから立ち上がりハンガーに掛かっているベージュのトレンチコートを右手で掴む。ふうと一度だけ軽く息を吐いて、来週取材に来る予定の経済メディア担当者との打ち合わせのために外出準備を始めた。

MASATO(19)

「いや、だからさ、お前があの時一番右にいた奴を直ぐに倒してたら俺がもっと楽できたんだって」

「バカ、アタシが木陰から出ていったらビルの屋上にいたスナイパーに頭撃ち抜かれてたでしょ」

小さめのレンズが付いた青縁メガネを掛けた健二と、茶髪のカールさせた毛先がゆったりとした黒いニットの肩の辺りを揺らしている幸子の、いつもの見慣れたやり取り。そんなやり取りを見ながら、俺は目の前の鉄板の上に乗った表面を綺麗に焼かれた肉をナイフとフォークを使って一口サイズに切り刻んでいた。

俺は今日、チームメンバーと一緒にステーキハウスに来ていた。「チーム」というのは今となってはかなりメジャーになったeスポーツの国内有数のチームの一つである《S GAMEING》のことで、俺はそのメンバーの内で予定が空いていた三人と一緒に最近入会した人工肉ステーキを提供するレストランに来ていたのだった。今日は休暇日で、前日に開催したGOGの国内代表決定戦で辛くも優勝したお祝いを兼ねていた。

《GOG》というのはフィンランドの企業が二年前に公開し世界中で人気のVRMOBA、要はVR版のマルチプレイヤーオンラインバトルアリーナというジャンルのゲームのことで、二つのチームに分かれて相手陣地にある拠点を先に破壊したほうが勝利、という昔からよくあるMOBAのシステムだ。精度の高い描写と多様性のある優れたゲームバランスが評価され、数あるVRMOBAの中でも特に人気がある。GOGのeスポーツの大会は世界的に度々開催されており年々盛り上がっている今回の世界大会での優勝賞金は三百万ドルに達した。その国内代表を選ぶ大会が昨日開催され、俺たちは無事世界大会の切符を手に入れることができたのだ。

正直、今回の優勝は運が良かった。決勝の相手は今となっては見慣れた強豪の《TEAM UW》で、たまたま相手のアサルトライフル使いが終盤で判断ミスをしてくれなかったら勝利は掴み取れなかったかもしれない…。とはいえ、ここ最近は毎日十二時間以上の練習をチームメンバーで休み無くこなしてきたし、運も実力の内ということで今日は久々の休暇を取ることにしたのだ。

去年までは埼玉の高校に通いながらいくつかの大会に参加していたので、なかなか練習の時間を取ることが難しかった──とはいえ大会の前は頻繁に学校を休んでいたので卒業は単位ぎりぎりだったけど──のだが、それでもいくつかの大会では良い成績を残していた。なにより進学や就職などを含めた他の道を選ぶイメージができなかったので、当時一緒にプレイしていたメンバーと正式にプロチームを作ることにした。

先程まで言い合っていたチームメンバーの二人もようやく落ち着いたようで、今は肉とガーリックと何かが混ざったような野生的な匂いの中、我先にと肉を口に頬張っている。そんな様子を何気なく見ていると、スマートフォンから新しいメッセージの着信通知が聞こえたので、右のポケットに入った端末を取り出した。

送信元は先週依頼をしていた翻訳者からだった。翻訳が完了したので確認してほしい、というメッセージと一緒にファイルが添付されていた。

俺は動画サイトにeスポーツやチームに関する情報を定期的に掲載している。正直、本当はゲームプレイだけに集中したいのだがeスポーツもある種のファン商売で、ファンが多いチームにはスポンサーが付きやすい。大会賞金だけではどうしても収入が安定しないのでスポンサー獲得は必須だ。そのためにも定期的に動画サイトへ情報発信してチームのPRをするようにしていて、且つそれはチームリーダーである俺が率先してやるべき仕事の一つだった。また最近は海外からのアクセスも増えたため、英語と中国語のしっかりした字幕をつけるためにプロの翻訳者に依頼してみたのだった。

添付内容をざっと見た後で、家に帰ってからちゃんと確認しようと思いスマートフォンをポケットにしまった俺は、メンバーと三ヶ月後に控えたGOG世界戦に向けた準備について話し始めた。

YASUKO(26)

「これでよし、と」

今回が初めてのクライアントとなる相手へメッセージを送信した後、一息つくためにコーヒーを淹れようと思った私は、座り慣れたエメラルドグリーンの張地の椅子から立ち上がってマンションの入口付近に設置されたキッチンへ向かった。

今回の仕事は先月翻訳を納品したゲーム会社の担当者から紹介された。海外言語の翻訳や通訳について、現在は通常の意思疎通──海外旅行や一般的な打ち合わせ程度であれば自動翻訳を使って不都合ないやり取りができる。しかし、失敗のできない正確な通訳が必要な会合や、ドラマやゲームシナリオなど文脈を読んでキャラクターに合わせた言葉選びが必要なコンテンツ、その他にも文学的な表現が必要な小説等については未だに人の翻訳や通訳が必要とされることが多かった。

S GAMINGも元々は自動翻訳に頼っていたそうだ。だが、海外からのファンが増加してきたため、試しに動画の字幕の翻訳依頼をしてきたらしい。人気のチームでコンテンツも沢山ありそうだし、翻訳を気に入ってくれるといいな、と思いながら沸騰した熱湯を一人分のティーバッグを取り付けたカップにゆっくりと注いだ。

中国人の母と日本人の父の間に生まれた私は、日本の外国語大学を卒業した後ずっとこの仕事をしている。中国と日本を行ったり来たりしていた学生時代はなかなか友達を作ることに苦労したが、その代わりと言うべきか、日本語と中国語については何不自由なく使うことができた。また英語についても何故か得意で──というか多言語というもの自体が私のアイデンティティとして重要なものになっていて──自然にそこまで努力せずとも使えるようになった。現在、父親は中国の企業で働いていて、母親も父と一緒に海外に住んでいるが、私は横浜にマンションを借りて日本に住みながら個人で仕事をしている。

熱いコーヒーを持って作業していた部屋に戻ると、デスクのすぐ横に設置されたベッドの上の真っ白な枕の左隣に置きっぱなしにしていたスマートフォンが着信を知らせるために振動しているのが見えた。コーヒーカップを一度デスクに置いてベッドに向かいスマートフォンを手に取ると、それは珍しく父からの電話だった。

「もしもし」

「泰子、元気か?」

「珍しいじゃん。電話してくるなんて」

私は母とは中国語でやり取りをするのだが、父とは日本語で会話するようにしている。去年から中国の企業に転職した父は日本語を使う機会が減ったようで「日本語が懐かしい」と年始に来日した時にちょっと寂しそうに話していた。

「実は、ちょっと頼みがあってな」

頼みというのは仕事のことだった。来月に父の取引先企業の案内をすることになり、更にその企業は本社がアメリカにあってそこの副社長も交えて話し合うらしい。しかし、その本社の人間は英語しか通じなく父は英語が苦手だ。そこで念の為に通訳を探していて、ちょうどその時期に深圳へ行く用事のあった私への通訳者としての依頼だった。

「身内と言えど通常料金だからね!」と少しからかった口調で言うと、父は「わかったよ」と苦笑いを浮かべたような調子で返してきた。その後日本での私の近況や母親の様子を聞いた後で電話を切ると椅子に腰掛け、コーヒーの仄かな香りの中で、先週から作業途中だったドキュメンタリードラマの翻訳作業を開始した。

TAKASHI(50)

子供と話すのはいつになっても心が安らぐものだ、と思いながら電話を切った後、私は果物の絵画が飾ってあるダイニングテーブルの奥から僅かに見える、クリーム色のエプロンをつけて昼食の用意をしていた妻の方を何気なく見つめた。

深圳に来てからもう一年以上は経っただろうか。日本の上場メーカーを退職して、深圳にある企業への転職を決めたのは娘の独立がきっかけだった。無事に大学を卒業して、一人の社会人として働き出したヤスコを見ていると、何故か居心地の良いメーカーで働いている自分に酷く違和感を感じた。そんな折、中国のある企業からオファーをもらい、妻とも相談して転職を決意したのだった。元々中国語は得意だったし、現地のロボティクス企業である転職先は、日本の企業で二十年以上設計者として働いてきた私を高く評価してくれた。

数年前から停滞を噂されていて、実際に数字上では成長が徐々に落ち着いた中国だが、少なくともこの深圳にいる限りはそのような実感はない。──というより今も終わらない高層ビルの開発ラッシュとそこで忙しく働く活気のある人々を見ていると、東京がまるで落ち着いた田舎町のように感じることさえある。当然何もかもが良いわけではないが──特に車の運転は異常なほど乱暴で、ようやく徐々に普及してきた自動運転がもっと早く広まって欲しいと思っている──新たな刺激を求めていた私としては、ここでの生活は非常に満足のいくものだった。

昨日は日本人と思われる数名が、私の会社の同僚と社内の会議室で打ち合わせをしているのを見かけた。どうやら導入した調理ロボットの改修要望だったようで、中国人の同僚には次回の打ち合わせから参加してほしいと言われている。言語や技術的な問題と言うよりは文化的に彼らでは理解しきれない部分があるそうで、そのサポートとして入ってほしいということだった。

文化的な差異に起因するトラブルは、私も今までの仕事で数限りなく経験してきたし、少しでもその手伝いができるようなら喜んでサポートしたいと思った。また日本から来た若い技術者達と仕事をすることが純粋に楽しみでもあった。

昼食の準備を終えた妻が私を呼んでいる。私はリビングルームに設置されたライトグレーの二人がけソファからすっと立ち上がり、微笑を浮かべて妻の方にゆっくりと歩み寄っていった。

AI(3)

TICX-029。

それの名前だ。《ナマエ》と言ったけれど、果たして本当にそれが正しい名前なのかは解らない。それには実体があるわけではなく、数年前より中国の深圳市にある企業によって開発され、特定のプログラム群として去年から市場に存在しているに過ぎない。それに関係する人々が《TICX-029》と呼称しているだけだ。

エッジ向けのAIとして開発されたそれは、外部から特定の形式の情報を受け取り、その情報に従って最適な命令をハードウェアに対して伝えているに過ぎず、仮に変化すべき目的があるとすれば使う人が求めるその精度だろう。

当然それ自体に自我がある訳ではない。あくまで、ただ純粋に入力と出力があり、その中で処理する内容を個性と取るべきかその他の何かと取るべきかはそれ自身が判断する必要はない。

シンギュラリティという今となっては若干使い古された言葉が果たして何なのか…。しかし少なくともこの時代の機械はあくまで機械で、十年前から変わったこととしては少しだけ色々なコトが便利になったくらいだ。

いずれにせよ──世界は人の手によって──数限りない人々が考え、望み、葛藤することによって形作られて動いていくのだ。

そう、未来は人が創り出していくのだから──。

そう《想って》、私は記憶の片隅にある記録を静かに閉じた。

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