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風の音と、心の音~「聞こえないこと」の思索と物語

難聴児医療・教育界の92歳の長老、田中美郷先生が教えてくれたこと③

初回のこのシリーズでは、半世紀にわたり、医師でありながら、そのワクを超えて難聴児の療育に携わってこられた田中美郷先生の思いや、そのベースとなった哲学に迫ります。
 

▼欧米の文献を読み漁る

1960年代、信州大学病院耳鼻科で、幼児難聴外来を担当された田中美郷(よしさと)先生は、難聴が発見された後の、「その難聴乳幼児たちの療育をどうするのか」という問題にぶつかりました。
そこで、何とかこの問題を解決する良い方法はないものかと、その答えを医学や障害児教育の面で先を行っている欧米に求められたのです…。
 
田中先生は診療の合間に、あるいは終わった後の時間を、難聴児や障害児に関する論文や書籍を探すことに費やしました。まず手ごたえを感じたのは、フランスのイタールという医師が、“アヴェロンの野生児”と呼ばれる少年を4年半にわたり療育した試みの記録でした。
 
その少年は1801年1月にアヴェロン県で保護されたとき、ボロボロになったシャツ以外、何も身につけていなかったそうです。おそらく7歳のときから、捕まった12歳と推定される年まで、一人で森の中で生きていたのだろう、とイタールは報告しています。

「多分4、5歳のときに捨てられ、教育の糸口としてその時までにすでに得ていた観念や言葉は、すべて孤独生活のために記憶から消え去ってしまったと思われる。」(『イタール アヴェロンの野生児』古武彌正訳/福村出版より抜粋)
 
クルミを砕く音やドアの鍵に触れる音などには素早く反応するので、耳が聞こえていないわけではないのでしょう。しかし、その他の音にはまったく反応を示さず、話すこともできず、言葉を知らない少年でした。
療育を引き受けたイタールは、何とか言葉を覚えさせようと努力を惜しみませんでした。

その少年の教育は結局、実を結ばなかったのですが、それでもイタールという医師が19世紀の初めに、言葉をまったく理解しない子どもの療育に携わり、さまざまな方法を試み、何とか言葉を獲得させたいと心を砕き、研究記録を残していたことは、同じく医師の立場にある田中先生に深い感銘を与えたということです。
 

▼言語獲得の出発点は「物に名前があることを知る」こと

また、見えない、聞こえない、その結果話せないという重複(ちょうふく)障害を克服し「奇跡の人」と呼ばれたヘレン・ケラーの自伝、それから彼女の教育にあたったアン・サリバン女史の記録は、田中先生に次のような仮説を示唆してくれました。
 
「言葉は教え込んで身につくものではなく、子ども自身が獲得するもの。
つまり、言語を獲得させたかったら、物に名前があるということを、子どもに発見させる。それが出発点になる」
 
ヘレン・ケラーが物には名前があることを発見したのは、あの有名な井戸のシーンです。彼女はそのことについて、自伝でこのように述べています。
 
★先生は、私の片手をとり水の噴出口の下に置いた。冷たい水がほとばしり、手に流れ落ちる。その間に、先生は私のもう片方の手に、最初はゆっくりと、それから素早くw-a-t-e-rと綴りを書いた。私はじっと立ちつくし、その指の動きに全神経を傾けていた。すると突然、まるで忘れていたことをぼんやりと思い出したかのような感覚に襲われた──感激に打ち震えながら、頭の中が徐々にはっきりしていく。ことばの神秘の扉が開かれたのである。この時はじめて、w-a-t-e-rが、私の手の上に流れ落ちる、このすてきな冷たいもののことばだとわかったのだ。この「生きていることば」のおかげで、私の魂は目覚め、光と希望と喜びを手にし、とうとう牢獄から解放されたのだ!(『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』/新潮文庫)
 
またサリバン女史の記録にも、このような記述があります。
 
★…彼女は、すべての物は名前をもっていることと、指文字が自分が知りたいすべてのことへの手がかりになるということを学んだのです。
………
井戸小屋に行って、私が水を汲みあげている間、ヘレンには水の出口の下にコップをもたせておきました。冷たい水がほとばしって、湯のみを満たしたとき、ヘレンの自由な方の手に「w-a-t-e-r」と綴りました。その単語が、たまたま彼女の手に勢いよくかかる冷たい水の感覚にとてもぴったりしたことが、彼女をびっくりさせたようでした。彼女はコップを落とし、くぎづけされた人のように立ちすくみました。
ある新しい明るい表情が浮かびました。彼女は何度も、「w-a-t-e-r」と綴りました。(『ヘレン・ケラーはどう教育されたか──サリバン先生の記録』/明治図書)
 
いつまでも記憶に刻みつけられる、驚くべき感動的なシーンでした。
ヘレン・ケラーの生い立ちは、CORテストが開発された2年後の1962年に、『奇跡の人』というタイトルで映画化され、日本でも封切られて人々を感動の渦に巻き込みました。井戸のシーンは映画のクライマックス。
田中先生もリアルタイムに、長野県松本市の映画館でご覧になり、深く感動したとおっしゃっています。
 
そして、物に名前があると発見したとき、それまで脳の中の別の場所で培われ発達してきた「思考」と「言葉」が交差し、結びつき、重要な意味を持ち始めるのだと、確信に近い思いを抱くようになったということです。
 

▼「ホームトレーニング」という療育法との出会い

「言葉は教え込んで身につくものではなく、子ども自身が獲得するもの。
つまり、言語を獲得させたかったら、物に名前があるということを、子どもに発見させる。それが出発点になる」
 
田中先生は、療育の場でこの仮説の正しさを実証できないものか、と強く思われました。
そこでさらに欧米の文献の検索を続け、ついに診療の合間に、自身で子どもたちの療育支援に取り組む方法を見つけられたのです。

それは英国マンチェスター大学のユーイング教授の著書にあった「ホームトレーニング」です。具体的な方法は書かれていません。ただ実際に子育てを担い、日々子どもと接する両親に療育の方法を指導することで、子どもの言葉や心の発達を促していくことができると書かれていました。
 
「この方式であれば、工夫次第で診療の合間を縫ってやれるのではないか…」
田中先生はそう思われたそうです。そして「ホームトレーニング」の方法でもって、まだ誰もやったことのない、難聴乳幼児の療育という分野を切り開いていこうと、覚悟を決められたのでした。

 

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