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ランドセルってなんだろって50年間思っている

ランドセルが重いので軽いランドセルを開発したんだって。そうよね。わたしが小学校一年生になった50年前からランドセルは重かった。そして垢抜けなかった。

随分と前にブログに書いたこともある

50年前の田舎の女の子だったわたしでも「可愛い服を着てもランドセルを背負うと急に冴えなくなる」と気づいていたんだけどなあ。長男が小学生になった時には黒いランドセルを背負った姿を見てガッカリしたし、離婚して札幌に戻ってから小学校に入学した双子の二男三男は最初からリュックサックにした。よその子はみんなランドセルを背負って「ピカピカの一年生」だったけどわたしは気にしなかった。

だいたい一年生がランドセルを背負うって法律で決まってるのか?って不思議だった。仙台の友人の息子さんが6年生になってランドセルが壊れてしまったので担任に「壊れたので他のカバンを使わせます」と連絡をしたら「修理に出して治るまではうちの子が使っていたランドセルを貸与します」と言われたという話を聞いてビックリしちゃったったよ。

ランドセルの重さの対策は

①荷物が多い日にはあのお年寄りが押しているキャスター付きの「きんさんぎんさんカー」って八島家では呼んでいるあれ(てっきり共通語だと思っていたけどググったらヒットしなかった)にするとか、荷物の軽い日はさらっとリュックサックとか。何でもいいじゃん。使いやすければ。

②教科書だって分冊にして薄くするとか、ロッカーに置くとか荷物を少なくする方法って絶対にあるよね。

③小学生がランドセルを背負うという夢物語を捨てる。

これよこれ。

軽くて使いやすいランドセルを開発した人は頑張ったのねえ。と思うけれども別に見かけを「ランドセル風」にする必要ないんじゃん。

我が子が我が孫がランドセルを背負う姿を見たかった。というそのロマンを子供にまで押し付けていいんかいな。その夢物語は50年以上この日本で続いているんだからねえ。

いつものごとく話逸れるんだけれども、我が娘が白無垢姿でお嫁入するところを見たいんだ。とか、あ、その前に成人式の振り袖姿を見たいんだ。とか。映画やテレビドラマの美しい女優さんの麗しき姿をあなたの娘に重ねて幼い頃から「大きくなったら白無垢を着てお嫁さんになるのよ。勿論クリスマスケーキと同じく24歳までにね」と洗脳され続けた昭和の女の子たちよ(つまりわたし)50年前に飛んで行って「あなたの娘は原節子でも吉永小百合でもありませんから。白無垢着せてもたいした似合いませんよ」と言いたいわね。自分の父親にね。

「みんなと同じ」「親の期待に添える」ってことを人生の目標にしていた50年前の自分に「それはあなたの本心からの願いなの?よーーく自分の心を見つめて!」と懇々と説教したくなる。

「みんなと同じ」「日本ではずっとこうだったから」という珍妙な約束事に人生を振り回されたわたしだから言いたいの。


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