どうでもよい話⑥:半世紀も生きてみて。

 本日、誕生日を迎えました。
 50歳ですよ!
 病弱で、ヘタレだった私がよくもここまで生きて、商業出版も手掛ける学者なんて立場までたどり着けたもんだと思います。公私に色々問題を抱えてはいるけど、幼少期に想像していたものより、ずっと面白い人生を送らせてもらっていると思います。
 
 定年のことを考えると、自分の社会的生命は残り最大で10年ちょっと。自分の体の具合を考えると、その前に命が尽きる可能性のほうが高いかなと考えています。

 清く正しい大人であれば、人生百年時代でまだまだ道は半ば、やりたいことはいっぱいあるし、挑戦することに遅いことは無いとか言うべきなのでしょうが、そんな気持ちは微塵も無いです(笑)。

 私人としてやっておきたいなと思うことは、サーモンフィッシングとバイクで北海道を走るくらいかな。もう10年近く同じことを言って、できるチャンスが何度かあったのに見送っているので、 本心ではどうでも良いと思っているのかもしれない。この年になって、自分には大層な夢や目標なんて無く、その時々でやりたいことがやれればそれでええやん、と考えるタイプだと自覚するようになりました。

 経営学者として書きたい本はあと三冊くらいありますし、後先考えずに研究プロジェクトは立ち上げていて学術論文に取り組んでいます。良くも悪くも、半世紀かけて自分が一番得意なことは、研究者として「書き」、「語る」ことなのだと再確認しました。
 他方で、自分の学説を残したいとか、誰かに継がせたいという学者っぽい欲求は未だに沸かないどころか、年々、嫌悪感が増しています(あと10年生き延びられたら、ころっと考えが変わるかもしれないけど)。大学院生の頃から変わらず、通説に対する殺意と愉快犯的発想が、何かを書き語ることのモティベーションになっています。そんな私の書いたものが、社会の淘汰圧の中で消えていくのもまた運命じゃん。そこに未練を感じてどうすんのよ。
 
 誕生日に脳裏に浮かんだのは、「60過ぎて生きてたら北海道に山小屋を作って引きこもり生活に入って、人知れず熊に食われて死ぬ」というものでした。「あいつ、何してんの?」と調べてみたら死んでいた、それが理想的です。将来の目標があるとすれば、今のところこれくらいです。それまでは、偶然手にした今の状況を、その都度楽しめるだけ楽しんで生きる所存です。関係者各位には、そんな私の状況を笑って見て頂ければ幸いです。


 

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