ギリ昭の執着

4月29日、今日は昭和の日という事で改めて昭和に想いを馳せてみたいと思います。

私は1987年生まれなので、昭和62年、ギリギリ昭和の内に生まれたギリ昭です。
昭和を愛する者としては本当に昭和に生まれてよかった…

私の初めての昭和との接点はおニャン子クラブでした。
ほんとにひょんな出会いからこの世界にズブズブとハマる事になるわけですが、
最初のきっかけはカラオケの歌本(時代を感じますね)に載っていたおニャン子クラブの奇妙なタイトルの曲たちに衝撃を受けた事でした。
(時を超えて引っかかる若者がいるんだから、やっぱり康のコピー力は凄まじい)

なので、私の中の一番の昭和はおニャン子(やその後のソロ)を通して見る1985年~1988年が色濃くて、あの時代のハチャメチャで、軽薄で、煌びやかで、パワフルな雰囲気が大好きでした。

あとは私は女の子が大好きなので、その時代時代の女の子の様子や、そのアイコンであるアイドルというものにもとても興味があるのですが、80年代の女の子たちの、不良文化と乙女が混在している感じがとても好きです。私はどちらかというとポエミーな夢少女文化が好きなのですが、どちらとも女のコである事をちゃんと守ろうとしてる感じが大好き。
アイドルも含めて、女の子が夢を見せてくれていた良い時代だなと感じます。

過剰に作られたモノたちや誰かの手によって作り出されたものたちを皆が楽しめる時代。
リアリティとか、裏側とか、本音とかよりも、ただ「楽しいこと」に踊っていた時代。
そしてそのオンとオフがあるからこそ生まれる陽と陰みたいな物も含めて味わい深い時代だなと思います。

だけどやっぱり80年代を想う時に実感が伴わないというのはとても悲しいですね。
おニャン子に出会った当時は、本当に悔しくて、反動で毎日夕ニャンを見たりDUNKを読んだり夜ヒットや月ドラを見続けていたらいつしか実際にその時代に生きていた記憶にすり替わったりした事もありましたが、それでも事実としては生きておらず。
いくら時代考察をして分かったような気になっても、肌で体験していない事は「イメージ」にしか過ぎないのだという事が亡霊のように私に憑り付き続けています。

そんな反面、最近は昭和の音楽や文化が好きな若者たちが増えて来ているという嬉しいムーブメントがあります。
私みたいなギリ昭よりも、もっと実感の無い遠い世界を好きになっている子達の目にはどんな風に映るのか、とても興味深いですね。
なので、ギリ昭の私はそんな平成世代とリアル昭和世代の繋ぎ目になれればなーなんて最近思っています。
若い平成世代のパワーでこの文化をもっと先に繋げて行って欲しい。
繋げるだけじゃなくて、新しい文化として生み出して行く事だって出来るかもしれない。
そう考えるとワクワクしますね。

そしてまた昭和ムーブメントが起きて、追体験のような事が出来れば私のこの執着のような物もちょっとは消えて行くのかしら。
高校生の時に作ったこのうしろゆびのセーラー服に込められた様々な想い(や怨念)がいつか昇華される日が来ますように。

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