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時代に逆行する気がするけど、アナログ生活を意識してみようと思う

去年の暮れに、スマホの画面が割れた。
キャンプ場の受付から飛び出して石の階段を駆け上がったときにポケットからスルッと落ちて石にぶつかって、ヒビが入った。ケースも画面カバーもしていたのに、ほんの数ミリの露出箇所に見事に当たった。

修理するか、iPhone12とか13とかに買い換えようかな(現状7)と思いつつ、なんとなく「このままでいいんじゃないか」と思っていまだに割れたままで使っている。
「このまま」というのは言葉を足すと「この、少し不便に感じる状態のまま」ということ。

私の人生でスマホが登場したのは社会人になったころだけど、その後ものすごいスピードで発達して、スマホだけで済ませられる作業が増えたし、スマホで見聞きし調べられるものが増えて、一日の大半の時間をスマホを見つめて過ごしている気がしている。何か新しいものはないか?通知はないか?ほかにすることはないか?あの子猫は今日も元気か?いつも気にしている。画面が見えない時はイヤホンでラジオを聞いてる。少し冷静にその自分の姿を見ると、スマホを使っているというよりはスマホにがっちり掴まれている。
それはパソコンでも大差ないといえばあまりないのでパソコンとともに生活してきた学生時代からそれは続いているのかもしれない…。

一方、車で長距離のお出かけをしていて一日のほとんどをスマホを触らないで過ごしている日は、触れているコンテンツの量は圧倒的に少ないけど、何か思考が自由になったような気がする。外を歩けば、目で見て耳で聞いて鼻で嗅いで手で触って(足の裏で地面の固さを感じて)舌で味わって、五感を使って、なんとなく心地よい。視覚情報過多の日々より多様な感覚情報を使うので、刺激になっているのだと思う。

デジタル化していくことが良しとされる時代に生きているし、新しいもの色々と取り入れてきたけれど、私自身の人生を優先するならば(しない理由が全くない)、私の場合はスマホから自由な状態を維持していたほうがよさそうだ、と思う。

スマホを固定電話機くらいの機器に位置付けて(せいぜいガラケー。高校~大学時代に使っていた)、カメラはできるだけ専用の機器を使い、メールやSNSはパソコンで確認し、触れる時間を区切る(これがたぶん一番難しい)。スマホより優先したくなるような行動を増やす。

週末のお出かけ習慣は、無理のないようにしつつ続けてみよう。山歩きコースもいろいろ試してみたい。

だから今スマホが快適に使えない状況がちょうど良い気もしている。それに用途を減らすとすれば、スマホを新調する必要もない。
そんなわけで今日も割れた画面のスマホを使っている。すぐそばに置いておく時間や所持時間ももう少しコントロールしてもいいかもしれないなぁ。

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