この寂しい世界

人はなぜ、他者を叩きたくなるのだろう。

社会的に明らかな強者ですら、弱者を叩く。
理由はよくわからない。
やっても利するところは何もないように見えるので、単なるストレスの捌け口かもしれない。
あるいは、自分の立場が脅かされる恐れがあるのかもしれない。
強者に見えても、どうやら心理的安全は保たれないらしい。

叩かれた弱者も、体力がある者は強者を叩き返す。
弱→強への反論的叩きは、成功すると社会を巻き込み、普段の鬱憤を寄ってたかって強者にぶつけて袋叩きにする。

こうなるとやってることは単なるいじめの応酬だ。
強者が非を認めても、叩いた側が納得するわけでもない。
謝罪のようなもので一応の決着がついたら、叩いている集団は別のターゲットが現れるまでそっと潜伏する。

このスパイラルを断ち切るには、過剰にやり返してはダメだ。
不当な発言が飛んできたらしっかりと否定するが、それ以上はいけない。
言い返した途端、ディストピアへのデススパイラルの門が開いてしまう。

だから、何とかして私は衝動を抑えようとする。
対象を遠ざけ、ムカムカしたストレスを不当に誰かにぶつけない方法を探す。
瞋恚は害悪でしかなく、自力で消すしかない。

やり過ごした先に見えるのは、今より少しいい景色だろうか。
今のところ、あまり変わり映えのない景色に見える。
怒りの応酬から身を引き、周囲を穏やかな人ばかりにしたとしても、相変わらずどこかで怒りの応酬が続くだけで何も変わらないような気もする。

世界が良くなることはなく、自分が別のレイヤーに行くしか方法はないのかもしれない。
それが真理なのかもしれないけど、だとしたら世界は何と寂しいのだろう。

豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。