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川上未映子「きみは赤ちゃん」と、ヌルッの謎

日本文学専攻ですと言うと「作家は誰が好きなの?」と聞かれる。でもわたしは特に誰が好きだ!ということはなくて作品ごとに愛着を抱くから、内容だけ覚えていて誰が書いたかはそんなに気にしないことが多い。川上未映子を除いては。

わたくし率イン歯ー、または世界」という短編を読んで、「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」という随筆集を読んで、なんじゃこりゃああとドキドキした記憶があって、その興奮に惑わされたようにすっかり魅了されてしまって、理由はおそらく彼女の文章のリズムとことばにならないことを紙の上で口語的にことばにしようとする、その葛藤のプロセスも明けっ晒しになっているからだろうと思う。

彼女の作品はほぼすべて読んでいるから「きみは赤ちゃん」という作品で妊娠、出産経験を川上未映子を通して描かれることにはすごく違和感、夕御飯にみかん一個出てくるような唐突な感じがした。

「これ? これ夕ご飯? うん、まあいいけど……」とおっかなびっくりみかんの皮をむき始めると、おいしいんだこれが。粒ごとにすっぱかったり甘すぎたりするわけだけど、やっぱりむき出しの葛藤はそのままで、でもいつもの何倍もなにかを前提にした文章であるなあと感じました。

きっとそれは著書の中にもある「自分の子供が大きくなってコレを読んだら」という想定が常につきまとっていたからなのだろう。今までは自分と他者との間に発生していた物語が、自分に限りなく近い、しかし圧倒的他者である「自分の子ども」を前にして、無償にだきしめずにはいられないからとりあえずその腕を紙の上でも伸ばし、読者まるごとだきしめてしまいたいというような気がした。

川上未映子が何度か他のエッセイのなかで言及していたけれど、わたしも不定期に見る、こどもを産む夢。痛くはないけど全体的にヌルッとする感覚があって、でもそれは子どもが出てくるヌルッなのか、体温のヌルッなのか分からないけれどとにかくできたてのゆで卵がつるんつるんすべってつかめなくって、湯気がとめどなくたちこめるような感覚、それを一言で言うとヌルッであって夢から覚めるとそのヌルッが体中を覆っているのだった。

このヌルッという感覚は、実は今まで生きてきた人生で二人の女性と話していて感じた感覚でもある。一人は、インド旅行をコーディネートしてくださったバリバリのキャリアウーマンの、もってぃさんという日本人の女性。わたしが彼女と出会ったとき、臨月でお腹が大きく、小柄だけれどパワフルで、インドが大好きな方。

もうひとりはバルセロナでホストをしてくれたケリー。小柄でヒッピーみたいなファッションをしていて、おっちょこちょいでおせっかい、サルサダンスが大好きな女性だった。

この二人と空気をともにしていると、そのヌルッという感覚がわたしの体の芯からもわもわと広がっていって、底の見えない深い海にふわっと落ちていくような感じがした。そして、海の中をくらげみたいに漂っているようなカンジ。だから、音感に反してとても心地よい気分になる。同時にすごく、呑み込まれるような怖さも、ちょっとだけ。

「きみは赤ちゃん」を読んでいる時も、このヌルッが絶えることはなくて、ケリーは妊娠していなかったけれど、きっと何か共通するものがあるんだろうなと思う。わたしがこどもを産んだとき、そのヌルッの正体がわかるのだろうか。


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