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藤田貴大・演出「小指の思い出」音楽としてのことば

「マームとジプシー」という劇団は、大学1年生のときにF/Tで観て鳥肌が立って、それからずっと好きです。池袋のグリーンボックスの舞台上で、四つ角で走る体育着を着た、バレー部の女の子たち。

それ以来、気になって公演をちょこちょこチェックしていて、昨年は川上未映子の短編をいくつか演出して舞台化した「まえのひ」を新宿まで観に行った。

今回、生で観る機を逃してようやくWOWOWで「小指の思い出」を観ることができた。
だいすきな野田秀樹の作品を「マームとジプシー」旗揚げ人の藤田貴大氏が、演出するのだからコレは観なくちゃあかん、とおもって。

藤田氏はBRUTUSの「つぎのひと」特集で表紙を飾るほど注目を浴びている若手演出家のひとりで、わたしも彼の舞台は好きなのだけれど、その特徴はなんといっても、反復で「リフレイン」と呼ばれる手法、らしい。

だから同じセリフ、同じ場面が何度も繰り返されたり、俳優が正面きってしゃべったセリフと同じものを、また数分後に今度は背中を向けてしゃべったりする、そういう手法。

彼の作品は片栗粉みたいなのだ、ぐにゃぐにゃふにゃふにゃのやわらかさとやさしさがあると思えば、どーんと重たいく、鉄の棒のようなもので殴られる感覚もあり、かと思えば岩が降ってきても耐えうるだけの腰の据えっぷり。

ことばがあらゆるところに氾濫し、「音」になりつつある今、野田さんの戯曲のことばはたぶん、他のものより一文字一文字に託されたメッセージが意味深すぎて重い、と感じるひとも多いかも知れない。

けど、藤田氏のリフレインがそれらの意味を軽んじることなく、耳馴染みのいい「音」にしてすりこまれてゆく、その心地よさと恐怖。

まさに水浸しの片栗粉。

まだ咀嚼しきれないけれど、夢の遊民社時代の「小指の思い出」、みてみたいなあ。

参考:音は見えたか ── 藤田貴大演出『小指の思い出』── 森井マスミ|シアターアーツ

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