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向田邦子「あ・うん」で笑いながら泣く

最近、出勤場所が変わったので電車の中で座れる。だから本を読む時間が取れるようになった。一番本を読んでいたのはおそらく中学のときだけど、それはもっぱら電車通学だったからだと思っている。家でも読むけれど冊数は減った。電車の中ってふしぎと本を読むのに程よい場所なのだ。

何を読んでいるかって、いろいろあるけど最近は向田邦子。こういうひとたちのことばを読んでいると、わたしの知らないジョークや熟語がたくさん出てくるが、そういうのを見つけて解釈するのが楽しい。

何かのラッピングに使われていた包装紙や和紙でブックカバーを作ってざらざらした質感を楽しみながら本を読む。内容に集中していればあんまり関係ないんだけど、この本にはこのブックカバーがよさそうだ、とか考えるのは楽しい。

で、今ようやっと向田邦子の短編集「女の人差し指」、「思い出トランプ」を読み終わって今日「あ・うん」を読みおわったが、なんでこんなに切ないのかしら、とびっくりする。ユーモアのある切なさの威力たるや。電車の中で何度も笑いながら目が潤んだ。

あらすじは、ざっくり言えば三角関係の男女の話で、たみと仙吉が夫婦、たみのことを好きな門倉は女好きの実業家だが気前が良く、仙吉と大親友でほぼ毎日顔をあわせる。
たみは門倉のことが好きで、ほんとうは2人は気持ちが通じているが、それは一度も言わないし、仙吉も実は二人の気持ちに気づいているが何も言わない。

まずこの時点でなんなんだ!苦しすぎる!と読んでいるこっちが身悶えする。けれど、それを誰も悲観しないし、淡々と日々を過ごす。そしてその日々は幸せにも見える。

あれれ、ほんとうのことを言わずとも幸せになれちゃうわけ? それが大人なの? と嘘をつけないわたしにはとてもハイレベルな心理戦だと思いつつ、彼らのキャラクターが物語を軽妙にするからこれまた厄介で、くるしいのに、プラトニックすぎる関係に多少羨望感をいだいたりする。

途中、わたしはさと子という19歳の女の子に共感する。たみと門倉の娘で、一番若く多感な登場人物で、物語の外で見守るポジションだったのがだんだん大人になってきて、共有できる無言の理解が増えていくことで物語の中へ入ってくる。わたしは彼女の視点を借りながら、どこかで自分にも見覚えのある、彼女の察知とざわめきを整理していく。

女の人差し指では、あまりこうした軽妙さはなかったけれど、「あ・うん」が向田邦子の傑作と言われる所以がわかった気がした。


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