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「わたしは宮崎駿と鈴木敏夫のせいで結婚できませんでした」の愛と涙|舘野仁美さん著『エンピツ戦記』のこと

アニメーターってすごい。

手首が折れるまで描き続けるのだ、無心、ではなく、物語の前後左右を頭のなかで往来しながら忙しく猛進するように描き進める。数分の作品であっても、何時間も何日もかけて。

才があっても描きたい絵が描けるわけではない。特に著者・舘野仁美さんは動画チェック担当として、絵を描くひとと演出家の板挟みになりながら、作品作りの要を担っていた方だ。

エンピツ戦記』を読もうと思ったのは、ジブリが好きということもあるけれど、舘野さんご本人にお会いしたから。

以前、取材で舘野さんと、パートナーの虎彦さんがオープンした西荻窪のササユリカフェに行ってきた。

1年前にも取材依頼をしたけれど、オープン当初でとてもお忙しいとのことで、取材を見送っていたのだった。

念願かなったりの再訪(大学の卒業式後に母と食事に行ったのが初回)で、おふたりにお話をうかがうことができた。オープン前の貴重な時間に、和やかにお話してくださるふたり。結果、お昼までいただいて、ついつい長居した。

公開された記事の中では紹介できなかったけれど、「トイレを見てください!」とおすすめされて中に入ると、うつくしく清潔で恍惚とするトイレが広がっていた。女優さんが使う照明を設えた明るい鏡と、綺麗に折り畳められたトイレットペーパー。キツすぎないよい香り(なんの香りだったか失念しまった)、広々とした一室はお城のトイレみたいだった。

著書にも、宮崎さんは女性用トイレにはとてもこだわっていたという記述があり、わたしはそこを読んでササユリカフェのトイレを思い出した。ジブリ作品は大好きだけれど、正直、中のひとがここまで登場する著書は初めて読んだので、いろいろなことが新発見だったし、新鮮だった。

ササユリカフェのカレーは、ピリっとスパイスが効いていて、おいしい。昼はたっぷりのくだもの付き。陽の光がいっぱい入る白を基調としたお店は明るくて、ソファもそのまま横になりたくなるくらいふかふか。(詳細はこちらをご覧下さい:【西荻窪】元スタジオジブリのアニメーターがつくる、身体と心が休まるササユリカフェ

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舘野さんは、おっとりしてやわらかい、まさにジブリ作品に登場しているんじゃないかと思わせるほどチャーミングな方。でも、実際は切れ味のよい刀のように鋭い視点とストイックさを持ち合わせていて、仕事に対する甘えは一切なく、時にその切実さと実直さから人知れず孤独を味わった方でもあるのではないか、などと未熟モノのわたしは著書を読んで感じた。

ジブリの季刊誌『熱風』の連載がまとまったものが『エンピツ戦記』なのだそうだ。そして、その連載はプロデューサーの鈴木さんからの発案により、始まったそうだ。こんな書き出しで、連載をしないか、と。

「わたしは宮崎駿のせいで結婚できませんでした」。

その鈴木さんの提案に対して、舘野さんはこう返す。

「『わたしは宮崎駿と鈴木敏夫のせいで結婚できませんでした』の方が正しいと思います」。

なんっっっって痛快な返答でしょうか。そして、このたった一言二言のやりとりで透けて見える信頼関係は、血と涙を分けあった者同士だからこそ、なのでしょう。

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わたしはこの本を読みながら、ササユリカフェでうかがった話、いただいたカレーの味、今まで観てきたジブリ映画、未知なるアニメーターという仕事、吉祥寺にある井の頭公園、などを思いながら、属人的なもののはかなさと偉大さを感じました。

「このひとがいなきゃ成り立たない」というのは、企業としてあってはならない、という話を聞いたことがあります。なぜなら、換えが効くシステムにして回していかないと企業が生み出す経済のサイクルが止まってしまうから。売上がなくなってしまうから。

でも、ジブリは宮崎さんや高畑さんがいなければ、ジブリではなくなってしまうのでしょう。鈴木さんが、舘野さんの所属する製作部の解散を発表したときの描写が、あまりにもさっぱりとしていて、わたしはちょっぴりうろたえました。

一般的な、いちファンとして「えっ、じゃあもう今までのようなジブリは観られないの?」「そんなのいやだ!!」「というか、解散するっていうことに誰も抗いはしなかったのかしら??」などなど、あれこれ考えもしました。

でも、抗うまでもなく、ジブリは宮崎さんや高畑さん、鈴木さんがつくりあげたもの。その世界で生きていくことを決めたひとたちは、世界が終わるならばいっしょに滅びなければならない(ひととして、というわけではなく世界をつくる要員として)ことを自明のこととして受け入れていたという、その潔さというか、未練がましくないというか……モノづくりするひとたちというのはこんなにも、刹那に命を削っているのかと思うと、なんか、単純に「今回のジブリびみょーだよねー」みたいな時折大衆から聞こえてきた取るに足らない批評が浅はかすぎて稚拙すぎて「とりあえずコレを読みたまえよ……」と『エンピツ戦記』を差し出したくなるのでした。

同時に、ジブリ好きのみならず、仕事に熱中している女性も、この『エンピツ戦記』にずいぶんと励まされる気がする。今でこそ、仕事が大好きで未婚で輝いている女性は多いけれども、まだまだはびこる、女性のクリスマスケーキ現象。実際、わたしはいま24歳で、今年の誕生日を迎えれば「売れ残ったクリスマスケーキ」のひとつにめでたく仲間入りするわけだ。ご愁傷様。

が、しかし、舘野さんの全身全霊の姿を著書越しに思い浮かべたら、これほど命を注いだものがあるならば、結婚=しあわせとか、なんかそういう「女のハッピーライフテンプレ」とかマジでどーでもよくなってくる。それよりも、あのジブリの世界を、その手で、紡いでいったチームのひとりなのだし、彼女自身それを選んだ(選ばざるを得なかったシーンもあったかもしれませんが)。

じゃあわたしは舘野さんみたいになれるかというと、ハイなれますなんて口が裂けても言えない、当たり前だ、途方もない汗と涙の片鱗を感じてしまったら、わたしの努力とか思いとか、まだまだスッカスカのペラッペラにしか見えない。

でも、命を投じてみたいと思う世界はある。この一点に突き抜けてみたい、と思う場所はある。

もし、そこへ一直線に走り出したら「女のハッピーライフテンプレ」から大幅にコースオーバーし、わたしの半分呪いのように思い描き続けた「母ちゃんになって子どもをたすき掛けしながら働く」未来は、ずいぶんと先になるか、もしくは、かなわないかもしれない。

でも、コースオーバーしてもそこには新しい「女のハッピーライフ」があるかもしれない。そればっかりはわたし一人じゃ決められない。人生は交わり交わられの肉弾戦だ。だって、もうすでにその「女のハッピーライフテンプレ争奪戦」からは離脱しているかもしれないのだから。

ジブリの裏、というよりも、周りに広がる、人間臭い世界を見せていただけた上に、働く女性としての広くて深い背中を、遠くに見つけられた本でした。読んでいる間も読み終わっても、なんだか心がざわざわしていた一冊でした。

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