「正しい家族」神話が崩壊した世界で
誰かと生きていく。
それはなんて、むずかしい、めんどうくさい、ことだろう。
「わたしが言いたいこと、分かる?」
「全然分かってないよ」
「分かってるなんて、たやすく言うなよ」
「そうじゃないのに。何も分かっていないのね」
「ぼくのこと、何も知らないくせに」
「わたしのこと、何も分かっていないくせに」
“くせに”、の後に続くのは、何だ。
言わずに分かってもらおうなんて、怠慢も甚だしい。
でも、言わなくても、分かってほしい。
だって、家族だから。
こんなに一緒に時間を過ごしているんだから。
長く一緒にいればいるほど、お互いのこと、分かったような気持ちになる──それでも結局は、なんでも言わなくても分かる、なんて日は、来ない。
家族は、一番近いところにいる、永遠の他人だ。
“正解”の家族のイメージは、いろいろなお金の巡りだとかで操作されて急速に積み上げられていった虚像だ。きっと。
去年、ずっと、家族とか結婚とか夫婦とか出産とか、
それらってつまり、世間一般にはどういう“正解”があって、
一方わたしにとっては、それぞれどういう存在で、
どういう価値があって、どうやってつくりあげていきたいものなのか
ということを、ずっとずっとひたすら考えていて、
勤めていた会社でも、そんなようなことを取材しては記事にしたこともあった。
マセた子どもだったから、小学生くらいの頃から既に、いつか子どもを産んだら彼・彼女を背負って、自分の足で立って生きていけるようになりたいと、思っていた。
その想いは、今だってぜんぜん変わっていない。
……ただ、わたしの“人”というものに対する意識が大きく変わったことで、子どもを生んだところで家族になれるわけではないということが分かった。
出産しても、生物学的に我が子ではあっても、自分のお腹から出てきた子はまったく別個の他人である、ということ。
そして“我が子”は、必ずしも自分のお腹を痛めて出産した子ばかりではないということ。
入籍しているから夫婦だ、というわけではないということ。
逆に、入籍していないから夫婦じゃない、というわけでもない、ということ。
一つ屋根の下に住んでいるから家族、というわけではないということ。
住んでいる場所はバラバラだけれど家族だということもある、ということ。
関係性を口に出すのは野暮だ。
野暮だけど、時々、不安になる。
「わたしは、あなたの、何?」
いちいち確認するなんて、心配性だなと笑われるかもしれない。
でも、わたしとあなたが他人なら、いつでもどこへでもきびすを返して、旅に出られる。
だからどこかで、わたしとあなたをつなぎとめておく、“絶対”が欲しくなる。
一人でも生きていけるけど
誰かと一緒なら、もっと豊かになるだろうって
そう信じたいだけかもしれない。
めんどくさくてたまらないこととか、苦しくて逃げたくなることばかりだとしても
それを上塗りしてくれるほどの
「ここでなら安心して生きていける」という、信頼で編まれたゆりかごみたいな共同体を
“家族”と呼びたいだけなのかもしれない。
あなたが心地よくなるにはどうしたらいい?
「わたしが言いたいこと、分かる?」
考えても、全然わからないよ。
「全然分かってないよ」
わたしはあなたのこと、長いこと、よく見てきたはずなのに。
「分かってるなんて、たやすく言うなよ」
笑ってもらえるには、どうしたらいいか、考え続けている。
「そうじゃないのに。何も分かっていないのね」
わたしはあなたじゃないから、まったく、分からない。
「ぼくのこと、何も知らないくせに」
でも、分かり合いたいよ。
「わたしのこと、何も分かっていないくせに」
理解しようとすることから、逃げたくないよ。
逃げられない、逃げたくない。
まだ顔も知らない、いつか生まれるかもしれない子どものこととか
まだ出会っていないのかもう既に出会っているのか全然分からない未来の“家族”のこととか
お付き合いするにはめんどう極まりない愛すべき人たちのことを、めんどくさい思考回路使って、思い浮かべる。
少なくとも、理解したいと思って考え続けることは無駄ではないということは、分かる。
同時に「共感できなくてもいいから理解しよう」という努力をしない人と一緒にいるのはしんどそうだ、ということも、分かる。
そして、理解しようと努力してくれる人の存在が、いかに尊いかも、分かる。
人間関係において「こうでなければならない」という“正しいスタイル”は、もはや存在しないんじゃないかと思う。
だからこそ、きっと本人たちがどう思っているのか、わたしはどう思うのか、あなたはどう思っているのかを、ちょっと大げさにでも伝え合う勇気が必要になってくるのかもしれない。
言葉を与えられていない関係は、不安だけれど、それは悪いことじゃない。
でも、不安に思うなら、伝えなければ、と、思うよ。
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