白瀬咲耶についての備忘録~咲耶の父親は死去している~

これは白瀬咲耶についての備忘録であるとともに、ある一人のPによる想像と推測と仮定の物語であることを留意して欲しい。


白瀬咲耶についての説明は割愛させていただく。
彼女について既知である人物に彼女の魅力や概要を説明する必要はないであろうし、彼女を未だ知らない者はこの備忘録を閲覧することはないだろう。

さりとて、彼女の生い立ちについては少しばかり述べる必要があるだろう。
と言ってもそこまで長くはなるまい。細部に関して各自お手持ちの携帯端末で適宜調べていただければ幸いだ。
ここで述べる彼女の生い立ちとはとどのつまり
1:彼女は父子家庭に育ち、母親については存命であるか否かすら明かされていないが現状家族と呼べる人物は父親のみである。
2:彼女の父親の生死についても、決して語られているわけでは無く令和元年十一月二十七日現在になるまで、不明である。
というこの二点に過ぎない。
この妄言のような備忘録を閲覧しておられる極めて稀有な方々につきましては、上記二点を留意したうえで以下の本文を読み進めて欲しい。

白瀬咲耶の父親は既に他界している

というわけで本文であり本論であり結論であるこの推測について紐解いていこうと思う。
なお、白瀬咲耶のコミュを多数引用するので、既知でないモノが含まれている可能性を考慮してほしい。

まず最初の鍵は白瀬咲耶の『幸福のリズム』における「……なんて、昔話」からである。
このコミュは、咲耶が浴衣を着て撮影場所に向かうシーンを描いたものだが、この中で咲耶は「幼少期に父に浴衣をねだったのに甚平を買ってこられた」と話している。
これはプロデューサーと咲耶のやり取りの一部、今回の推測の出発点となった箇所だ。

咲耶1

咲耶2

一件なんの変哲もないやり取りではあるのだが、咲耶の台詞につく三点リーダーが少しひっかかる。加えて、咲耶はこの話を冗談めかすでもなくただ懐かしんだ後に「すまないね、こんなつまらない話を――」と言っている。
咲耶らしいと言えばらしいが、あくまでこれは切っ掛けなので気に留めておくだけでよい。
しいて言えばコミュの最後がどんな選択肢を選んでも空のカットで終わるのが違和感と言えるだろう。

続いて、その次のコミュである「その道の先で待っている」からだ。
このコミュは、少し急いで現場に向かう咲耶とプロデューサーだったが、車を駐車場に停めるため、先に咲耶だけ車から降ろし現場に向かってもらうという内容になっている。
その中で、咲耶はプロデューサーに対し「アナタに何かあったら、私はアナタを急がせた罪悪感で何をしてしまうかわからないからね……」と冗談を言っている。
要するに、安全運転を頼んでいるわけである。
問題は、その次だ。
プロデューサーがそんな咲耶に対し、「心配しすぎた」という選択をすると

咲耶5

咲耶6

心外だと前置きをしたうえで、このような事を言うのだ。咲耶にしてはめずらしく、ひどく強張った表情で、しかも一切の冗談もなしに、である。
この時、BGMまでもが消える。なんとも、意味深かつ違和感の多い場面だ。
しかし、ここで「咲耶の父親が何らかの理由で亡くなっている」という仮説を立てると、辻褄が合うように思う。
咲耶には、実際に言い合いが今生の別れになった経験があるのだとしたら、何も不思議ではない。
更にそれを裏付けるように、この後のプロデューサーは驚きもせず殊勝に謝罪をしている。

咲耶7

咲耶8

更には、こんなことまで互いに言い合うのは、あまりにも深刻に見える。だが、咲耶の父親についてお互いに亡くなっている認識があるならば、何も違和感はない。
というより、まるでお互いの間にそういう不文律すらあるように思えてならない。

更に最も強く、咲耶の父親について疑念を抱いたのは「例えばこんなパラレル・ワールド」のやり取りであ
咲耶が、甚平を着て駆けていく子供を見かけて、自身の幼少時と重ね父親の本意に気づくコミュである。
活発だった咲耶のために、父親は動きやすい甚平を買ったのだと、咲耶はそう過去を懐かしんだ。

咲耶11

ここまでなら、過去への寂寞や後悔でしかないのだが

咲耶9

咲耶10

咲耶11

そのあとに続くやり取りがこれである。
これは、明らかに妙だ。少なくとも存命の家族に対しての会話とはとても思えない。特に咲耶の「そうだと思いたい」という台詞だ。
「そうであってほしい」でも「そうかもしれない」でもなく「そうだと思いたい」とは。これは、「もう確認のしようもないけれど、そうだと思いたい」という言葉にしか見えないのだ。
仮に、咲耶の父親が存命ならばここまでしんみりするだろうか?むしろ、今からでももっと仲を深めることができるという方向に向かわないだろうか?
しかも、このコミュには選択肢がなく必ずこのやり取りが行われる。
これは、シャニマスが「これだけは必ず見るべき」と言っていると考えるべきだろう。
つまり、ここには必ず意味があるのだ。それも咲耶についての大いなる意味が。
このやり取り、そしてその前のコミュ全ての違和感。それらは全て
白瀬咲耶の父親が死去している。と仮定すれば違和感なく読み解けるのだ。

勿論、この仮説は全て、私の想像であり妄想であり推測であり推論でしかない。
けれども、私はこのアイドルマスターシャイニーカラーズというゲームを大いに信頼しているのだ。
だからこそ、このゲームが意味のない思わせぶりな事はしないと、確信している。

改めて、結論を述べよう。
白瀬咲耶の父親は、既に死去している

このような、備忘録を最後まで読んでくれた読者には心からの感謝の意を示して、この記事を結ぼうと思う。
本当に、ありがとうございました。

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