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理解されないってたくさんあるよね

空いちゃった。

けどちょっとずつ書いていこうかなあって思うよ。

今日は「親との理解との向き合い方」について話そうかなあって。

親にさ、理解されない!って困ってたり、
理解されなくて親が困ってたり、
寂しく感じちゃう人もいるんじゃないかなあって思うんだ。

理解ってさ、多分親じゃなくても理解されないって
苦しくなることってあるよね。

私はね、完全に相手を理解することって
本当に、すっごく難しいことなんじゃないかなあって思う。

だからね、私は完全に理解されることは難しいことって
思ってるんだあ。
ただね、分かり合おうとすることは可能だと思ってる。

お互いが相手を知ろうとして、
相手を思いやって
相手に伝えようとする。

それでいいんだと思うんよなあ。

自立には二つあってね、
子供が親から自立することと、
親が子供から自立することの二つあるねんて。

ほんでね、親からの自立しているって状態の一つの定義として
親からの理解を求めないってのがあるんだって。

私はね、親からの理解を求めることをやめました。
わかってくれなくたっていいじゃん。
自分のやりたいことがあって、でも親が理解してくれなくても。

ちょっとずつ伝えていったらいいんだと思うんだ。

諦めるんじゃなくて、理解が「いま」じゃなくてもいいんじゃないかなあ。

でも人は理解してほしいって思うよね。
矛盾だねえ。

人って難しいね。でも、素敵だよね。

親の理解が得られなくて苦しんでる人をたくさん見た。

一旦さ、理解されないといけないものって
思うことをやめてみてもいいんじゃないかなあって思う。

苦しくてさ、でも誰かに話し聞いてほしいって思う人はさ、
一旦聞いてくれる人に話したらいいと思うんだあ。

自分の心を殺さないでほしい。

そのくらい悩んだ私の結果。

これからちょっとずつ、結果出していこう。

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