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わたしの内省記録vol.2

今すごく心が気持ち悪い。
自律神経失調症になった時と同じ感覚。

誰かの幸福や期待、欲求を満たすために生きるのではなく、それに違和感を感じているなら自分の幸福を満たすために生きる人が増えてほしい。

価値観、生き方、時間の使い方、人生にとって大切になるタイミングが人それぞれ全く違うくて、良い悪いはその人にしか決められないこと。

世間一般的なんて、存在しないこと。

人の人格形成にはみんなプロセスがあって、本人が認識しているプロセスは他の人が間違ってるなんて言えない。
事実は事実であること。

それを解決しようと何かしらアクションになって、それが人の性格に出てくる。その自分が嫌なら一緒に解決する方法を考えること。その自分が好きなら、それでいいこと。
心の勉強をして解決する方法をおかしいって言われたけど、それもわたしにとって自分を助けるためのツール。

何があっても、あなたの考え方はおかしい、考え直すべきだってただ聞いて、その瞬間のジャッジで言っちゃだめだと思う。

おかしいかおかしくないかは、相手には決める権利はない、誰かの価値観を誰かが決める権利はない。生き方も、誰かが決めれないし、どんなことが幸せであって、どう生きることが幸せも、その人本人が決めるもの。

誰かの幸福や誰かの期待や欲求を満たすためにわたしは生きれない。
幸せにしないんじゃなくて、自分のために生きた結果、誰かを幸せにする、それがわたしの生き方だし、自分が幸せでないと誰かに本当に心からのGiveってできないんだなあって、大学休学中のある体験から実感した。

自分を愛せないと誰かにほんまの愛は与えられない、だらかもっとみんな自分を幸せにすること、大切にすることを大切にできたらいいのに。

誰かに満たしてもらわないと幸せになれないだと、ずっとその人に依存するし、この人にこうしてもらわないと幸せになれない、つまり自分が満たされているとか、幸せになるは全部誰かがどうかで決まってしまう。
自分で満たされているや幸せを選べない。

誰かに満たされないと満たされて生きられない自分でいたくない。

誰かが満たしてくれてるんだって常に気付ける自分でいたい。
満たしてくれるは気づけるもの。
与えられないと0なものじゃない、自分でも満たせる。

自分で自分を満たせる自分でいたい。

わたしはこういう価値観の人間で、こうやって生きてる。
こんな考え方はおかしい、頭がおかしい、感情のない人間だ、自己中だって言われたけど、そういう世界でしかわたしは生きられない。

ただ満たせない人もたくさんいる。
そんな人を助けられる人間になろう。
ただ、自分が生きたいことを生きた結果そうなる。

わたしの心も考え方もまだまだ未熟らしい。
だってまだ22歳、そりゃ未熟だよね、だから勉強してるんだけどなあ。
全然だめな人間なんだって。
勉強しよ。

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